※ 画像は海外仕様のため、日本仕様と一部異なります。
※ 画像の一部は合成写真となります。
NISMO PERFORMANCE
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NISMOが追い求めるもの
情熱は限界を知らない
この驚くべきロードカーがどのように作られるのか、きっと知りたいはずだ。最先端のモータースポーツで磨かれた技術がもたらす、ボディ剛性、ハンドリング。そして、機能性を追求したスタイルとインテリア。NISMOはどこまでもNISMOらしさを追い求める。
NISMOロードカー・ラインアップ
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NISMOの開発現場、その裏側に迫る。
開発ドライバーとエンジニアによる走行テスト。そして、手作業による入念なフィッティングが行われるクルマの造り込み。貴重なシーンを垣間見ることができるショートビデオと、スリリングなGT-R NISMOの360°ドライビング映像。ぜひご覧ください。
挑戦と革新の軌跡
勝利への覚悟と熱い想い
日産のモータースポーツの歴史は80年以上に及び、今日まで脈々と続いている。勝利することにこだわり続けることで、数々の試練を乗り越えてきた。ここに、主な戦績を紹介。

モータースポーツ参戦
多摩川スピードウェイ
日産自動車創立二年目にして、多摩川スピードウェイの1,200メートル オーバルトラックでモータースポーツへ参戦。DOHCスーパーチャージャーエンジンを積んだダットサンNL75は、外国車に勝利し、「ジャイアント・キラー」の名を欲しいままに。モータースポーツで培った経験と知識をクルマ作りに反映する姿勢はここから始まった。

「世界で最も過酷なラリー」でクラス優勝
オーストラリア・ラリー
路面状態や気温差が厳しいオーストラリア大陸での「世界で最も過酷なラリー」に参戦し、クラス優勝。16,600kmのコースで半数もの参加車が脱落する中 完走。その比類なき耐久性とパフォーマンスを証明。あまりにも過酷なこのコースは、以後二度と使われることはなかった。
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ポルシェを追い抜き伝説に
鈴鹿の衝撃
1964年の日本グランプリ、世界トップレベルのパフォーマンスで他を圧倒し、スカイラインGTはポルシェ904カレラGTSを追い抜き、モータースポーツ、そして日本にとっても衝撃的かつ歴史的瞬間であった。
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王者奪還
GT-R復活
16年の眠りから覚め、1989年に復活したGT-R。1990年の初出場・初勝利を皮切りに1993年までの間に29連勝。全日本ツーリングカー選手権史上最も圧倒的なレーシングカーとなった。スパ・フランコルシャン24時間レース優勝、1991年、1992年にオーストラリアでも優勝し、「ゴジラ」の愛称が付いた。

さらなる高みへ
グループC 3年で3度の優勝
1984年から参戦したグループCでは、1990〜1992年に3連覇を果たす。1991年 チーム独自のシャシーを開発したR91CPは、権威あるデイトナ24時間レース優勝の大業を成し遂げた。
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チーム・ジャパン、初の表彰台へ
ル・マン24時間レース
1986年開発を開始し、1998年には日産 R390 GT1が世界で最も権威ある耐久レース、ル・マン24時間レースに挑戦。GT1クラスで3位となり、ル・マン史上、日本人チームによる初の表彰台へ。さらに、4台出場したR390 GT1はすべて総合10位以内で24時間レースを完走した。
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GT-R伝説再び
SUPER GT GT500
GTレースの最高峰でNISSAN GT-R(R35型)がデビュー。開幕2連勝からシリーズ優勝。鮮烈なレース復帰は多くのメディアに取り上げられ社会現象に。GT500最多となる通算41勝を積み重ね、2022年に再びフェアレディZに伝統のバトンを引き継いだ。
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新たな挑戦
フォーミュラE参戦
日産e.damsとして初参戦、優勝1回と6度の表彰台を獲得。フルワークス体制2シーズン目の2024年には、初の母国開催となる東京大会で2位表彰台、最終戦ロンドンを含む2度の優勝。電動化技術のパイオニアとして長期参戦を表明、世界に挑み続ける。
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