町並みの佇まいに歴史への想いを巡らすノスタルジック旅
町並みの佇まいに歴史への想いを巡らすノスタルジック旅
美しく豊かな海に緑深い山、風情のある伝統的な町並みに、地方色豊かな郷土料理やご当地グルメ、地元の人たちとのふれあい。地域ごとに異なる魅力がある内子町、八幡浜市、大洲市を、いよかん大使の武内 陶子さんと一緒に、トップクラスの航続距離を誇る電気自動車「日産アリア」で快適な長距離ドライブを楽しんできました。
美しく豊かな海に緑深い山、風情のある伝統的な町並みに、地方色豊かな郷土料理やご当地グルメ、地元の人たちとのふれあい。地域ごとに異なる魅力がある内子町、八幡浜市、大洲市を、いよかん大使の武内 陶子さんと一緒に、トップクラスの航続距離を誇る電気自動車「日産アリア」で快適な長距離ドライブを楽しんできました。
美しく豊かな海に緑深い山、風情のある伝統的な町並みに、地方色豊かな郷土料理やご当地グルメ、地元の人たちとのふれあい。地域ごとに異なる魅力がある内子町、八幡浜市、大洲市を、いよかん大使の武内 陶子さんと一緒に、トップクラスの航続距離を誇る電気自動車「日産アリア」で快適な長距離ドライブを楽しんできました。
武内 陶子さんプロフィール
愛媛県大洲市生まれ。1991年にNHK入局。「おはよう日本」キャスター、「第54回紅白歌合戦」総合司会、「スタジオパークからこんにちは」司会などを務める。2023年にNHKを早期退職し、フリーに転身。2024年1月に愛媛県公式観光大使に就任。
【武内さんコメント】
私のDNAにはきっと“愛媛”が刻み込まれているんだと思います
私にとって愛媛といえば思い浮かぶのが、青く美しい海とオレンジ色のみかんが実る段々畑の風景であり、山海の豊かな食材を使った郷土料理。そして、そこに暮らす心あたたかな人たちです。生まれ育った大好きな愛媛に恩返ししたくて、その魅力をもっと伝えたいと、フリーになると同時に愛媛県の観光大使に立候補しました。機会があればすかさず愛媛のことを話題にしたり、新聞や雑誌のコラム、SNSなどを通じて発信したり。これからも愛媛のいいところをいっぱい紹介していこうと思っています!
八日市護国重要伝統的建造物群保存地区
木蝋生産で財を成した豪商や町人の暮らしを今に伝える見事な町並み
漆喰の大壁や出格子などが印象的な町並み
古くから物流の集散地として知られ、江戸時代後期から大正時代にかけては木蝋の生産で栄えた内子町。当時の町家や豪商の屋敷が約600mに渡って軒を連ねる八日市・護国地区の町並みでは、レトロなカフェやお土産屋さんめぐりなども楽しめます。
住人が住んでいる“生きた町並み”に、そこに暮らす人の日常とぬくもりを感じます
南予旅の最初に訪れたのは、かつての繁栄の名残を色濃く残す豪壮な商家や白壁の土蔵、町家が建ち並ぶ八日市・護国の町並み保存地区です。伝統的な建物の意匠を鑑賞したり、古い建物を生かしたカフェやショップを巡ったり、「せだわ」と呼ばれる路地を探索してみたり……。地元の人たちとのふれあいも、かけがえのない体験です。
どこを切り取っても絵になる伝統的な美しい町並みが続いていく
八日市・護国地区の町並みは伝統的建造物群保存地区でありながら、今も実際にそこに住む人たちの暮らしがある“生きた町並み”という特徴があって、通りを歩いていると江戸時代や明治時代に迷い込んだかのような錯覚すら覚えるほど。町並みの雰囲気にぴったりな古民家カフェやこだわりショップ、お土産屋さんなどもたくさんあります。
職人の技が光る建物の意匠も町並み散策の見どころのひとつ
町並み全体としての美しさもさることながら、それぞれの建物に職人が互いに技を競いあうかのように施された装飾も見事です。屋根に付けられた「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる装飾や、コテで立体的に絵を描いた「鏝絵(こてえ)」、平瓦の目地を漆喰で固めた「海鼠壁(なまこかべ)」、防火の役割で設けられた「袖壁(そでかべ)」や小屋根をつけた「袖うだつ」など、伝統的な造形美も訪れる人を楽しませてくれます。
内子座
当時の最先端の建築技術で建設され、今も現役で使われている本格的な芝居小屋
まさに“舞台裏”を見学できる現役の木造芝居小屋
大正5年に創建された内子座は、現在も歌舞伎や文楽などの伝統芸能の公演や、住民の芸能発表会などにも使われている現役の木造芝居小屋。桝席や義太夫床、大向や花道、奈落やすっぽんと呼ばれる舞台装置など、実際に入ったり歩いたりして見学することができます。(※2024.9より4~5年の大規模修理工事に入るため休館)
色鮮やかな幟がはためく活気のある外観から当時の人々の熱気が伝わってくるよう
内子座は内子の町並み散策で外せないポイント! 大正5年に建設され、今も現役で使用されている木造2階建て瓦葺入母屋造りの芝居小屋で、実際に舞台を歩いてみたり、舞台裏の仕掛けまで見学することができます。娯楽の少なかった昔の人たちにとって、内子座で興行される文楽や歌舞伎、活動写真などは大きな楽しみだったそうです。
地下の「奈落」や、妖術使いや幽霊が登場する「すっぽん」も実際に歩いて回れる
本格的な芝居小屋として建設され、100年以上も現役で興行を続けているだけあって、黒光りする柱や床に歴史の重みを感じます。さらに内部は興味深く、板間を木組みで仕切った「桝席」と呼ばれる観客席や語り手の座る「義太夫床」から、「奈落」や「すっぽん」「回り舞台」といった舞台裏の装置まで、ゆっくり見学することができます。
一流の舞台で一流の役者たちが出演する本格的な公演は格別の魅力
内子座の建設当時は庶民の娯楽は少なく、興行がやってくると弁当や酒、肴などを持参して見物に詰めかけたそうです。国の重要文化財に指定された歴史のある内子座の舞台で、一流の役者たちによって行われる公演は格別の魅力があります。町民の発表会やコンサートにも活用されていて、まさに“娯楽の殿堂”という言葉がぴったりです。
大森和蝋燭屋
守り継がれてきた内子の伝統産業。美しい手さばきに見惚れる和蝋燭づくり
やわらかく、あたたかい炎の揺らめきに心癒される和蝋燭の世界
四国に唯一残る、江戸時代から7代に渡って続く創業200年の和蝋燭店。溶けた木蝋を素手で何重にも塗り重ねて仕上げられていく和蝋燭の製造過程は、いつまで眺めていても飽きない面白さ。「芯切り」や「芯打ち」など、和蝋燭ならではの所作についても教えてもらいました。
全国に数えるほどしか残ってない和蝋燭専門店で見せてもらった伝統の技
町並み保存地区の西端にある大森和蝋燭屋は江戸時代後期の創業。200年を超える歴史があり、木蝋生産の盛んだった内子の伝統産業としての技を大切に今に守り継いでいます。江戸後期に建てられたという古民家で、職人が灯芯に素手で溶けた蝋を擦り付け成形していく和蝋燭づくりの工程をガラス越しに見学させてもらうことができます。
ガラスの向こうは職人の世界。張り詰めた空気に背筋が伸びるような気持ちがします
竹串に和紙と灯芯草を巻きつけた灯芯に、手のひらで40〜45℃に溶かした蝋を擦り付けて和蝋燭はつくられます。仕上げのツヤ出し、芯出し、切り揃えまで全て手作業で行われていて、その無駄のない手さばきには見惚れてしまうほど。完成した蝋燭の断面はバームクーヘンのような年輪状になっていて、火を灯すと木蝋の独特な香りがします。
知れば知るほど奥深い和蝋燭の世界に魅了されてしまいました
和蝋燭には、大きくなりすぎた火を整える「芯切り」や、火を消すために身をつまむ「芯打ち」など、和蝋燭ならではの所作があります。蝋燭のサイズは匁という単位で表すとか、芯切りや芯打ちに使われる専用の道具があるとか、和蝋燭にふさわしい燭台の存在とか、知れば知るほど奥が深い和蝋燭の世界にすっかり興味が湧いてきました。
カフェでんじろう
散策途中にぜひ立ち寄りたい、全てにおいて“本物”にこだわった古民家カフェ
店主のこだわりが隅々まで行き届いた“本物”に出会えるカフェ
築130年の古民家を改装したレトロなカフェ。コーヒーが好きで、世界のカフェを巡ってきたというマスターが淹れるコーヒーは奥深い本物の味わい。おもてなしの美しい所作や、心配りの行き届いた調度や装飾など、何ともいえない素敵な雰囲気を醸し出しています。
コーヒーの味はもちろん、設えも雰囲気もマスターの人柄も唯一無二のスペシャリティ
カフェ巡りも町歩きの醍醐味のひとつ。元は世界を飛び回っていた商社マンで、コーヒーと甘いものが大好きというダンディなマスターが始めた古民家カフェでんじろうを訪れました。世界中のカフェを巡って“本物”に触れてきたマスターが淹れるコーヒーは感動ものの味わい。手作りのランチやぜんざいなどの和スイーツも絶品です。
さりげなく置かれた調度のひとつをとっても宝物のような貴重品ばかり
元は蛇の目傘の製造所だったという築130年の古民家を改装した「でんじろう 」は、レトロモダンでとても素敵な空間。マスターが長年かけて世界中から集めてきたというミルやドリッパーなどの道具をはじめ、同じものは一つもないというカップ&ソーサー、店内の調度や装飾品は、全てマスターが一つひとつ吟味して選んだものばかりだそうです。
テーブルに飾られた花一輪にまで行き渡るおもてなしの心が嬉しくて
御年86歳になるというマスターは、見た目も感性も若々しくて、洗練されたスマートな所作が美しく話題も豊富。一人ひとりに合わせた絶妙な距離感のおもてなしで客を迎えてくれます。コーヒーに添えられた小さなお菓子やテーブルに飾られた季節の花、手書きのメニューなど、あらゆるところにマスターの人柄が表れているようです。
問い合わせ先
カフェでんじろう
愛媛県喜多郡内子町内子2633
電話番号:090-6662-5688
営業時間:10:00~18:00
定休日:火曜、水曜
もっきんろーど
赤レンガ倉庫のある川沿いの堤防につくられた木製遊歩道は抜群のロケーション
映画のロケ地にもなりそうなノスタルジックな雰囲気が素敵
明治期に鉱山と紡績の町として栄えた保内町は、四国で最初に電灯が灯ったまち。旧東洋紡績赤レンガ倉庫横には「もっきんろーど」と呼ばれる木製遊歩道があり、「伊予の青石」でつくられた矢羽根積の護岸やレトロな街灯など、見どころがたくさんある穴場スポットです。
小樽や横浜を彷彿とさせるノスタルジックな気分に浸れる風情ある川景色
内子の町歩き後に向かうのは八幡浜。その途中、かつて愛媛県の文明開化をリードしたという旧保内町川之石へ立ち寄りました。町内を流れる宮内川沿いにつくられた木製遊歩道の「もっきんろーど」は、保内町の黄金期を象徴する旧東洋紡績の赤レンガ倉庫とも相まって、映画のロケ地にもなりそうなフォトジェニックなスポットです。
一つひとつの風景が町の歴史を伝えてくれる小規模ながらも見応えのある町並み
現在の保内町は柑橘栽培が主流の静かな町ですが、明治期には海運と鉱山と紡績の町として栄え、県下で最初に国立銀行ができたり、電灯が灯されるなど愛媛県の近代化をリードしてきた町でした。保内地区の町並みには、旧白石和太郎洋館や愛媛蚕種、二宮医院、カラミレンガの道など、かつての栄光を伝える建物や風景が随所に残されています。
レトロな赤レンガ倉庫を背景に行き交う地元の人たちの姿に掻き立てられる旅情
生活道としても使われているもっきんろーど。散歩する親子や制服姿の中学生が行き交う様子はほのぼのとして何ともいい雰囲気。周囲には昭和初期に架けられた美名瀬橋や、「伊予の青石」でつくられた矢羽根積の護岸、夕方になると灯されるレトロな街灯などもあり、風情ある川景色を眺めながらのんびりと歩いてみたくなる場所です。
問い合わせ先
もっきんろーど
愛媛県八幡浜市保内町川之石(宮内川沿い)
電話番号:0894-22-3101(八幡浜市役所 産業建設部 商工観光課)
道の駅 みなとオアシス 八幡浜みなっと どーや市場・どーや食堂
年間400〜500種類の魚が水揚げされるお魚天国・八幡浜で海鮮料理を満喫
市場で新鮮な魚介類を選び、その場で焼いていただく至福のランチ
水揚げされたばかりの新鮮な魚が並ぶ魚市場&海鮮食堂に、地元の産品や新鮮野菜などが並ぶマルシェ、フードコートやカフェに、定期船ターミナルや緑地公園、観光案内所なども併設された八幡浜の観光拠点。どーや市場で選んだ魚をその場で焼く海鮮バーベキューは大人気。
観光拠点であり市民の憩いの場所でもある道の駅みなとオアシス八幡浜みなっと
八幡浜港に隣接した道の駅みなっとは、新鮮な魚が並ぶ「どーや市場」、市場直営の「どーや食堂」、地元の産品や新鮮野菜などが揃う「アゴラマルシェ」の他に、フードコートやカフェ、観光案内所などが併設された八幡浜の観光拠点。芝生広場で自由に遊んだり、ボードウォークを散歩したり、市民の憩いの場所としても利用されています。
魚市場で仕入れた新鮮な魚介をその場で焼いて食べるという贅沢な体験
お昼ごはんは八幡浜みなっとのどーや市場で新鮮な魚介類を買い込んで、隣のどーや食堂で海鮮バーベキューにしていただきます!町並み散策でいっぱい歩いてお腹もペコペコだし、市場の端から端までとびきり新鮮な魚介類がいっぱい並んでいて、どれもおいしそうで目移りしちゃって、ついついたくさん買い込んでしまいました。
目利きから始まるお楽しみ。浜値で買えるからこその豪勢なネタに大感激
さて、いよいよお待ちかねの海鮮バーベキュー。受付を済ませて席に着くと、カンカンに熾った炭火を持ってきてくれます。後は具材を網にのせ自由に焼いていくだけです。サザエは俯せで焼いてからひっくり返すとか、赤エビはお腹側から焼くとパリパリになって皮ごと食べられるとか、焼きのお世話をしながらいろいろと試してみるのも楽しくて。もちろん味は「最高!」の一言に尽きます。
問い合わせ先
道の駅 みなとオアシス 八幡浜みなっと どーや市場・どーや食堂
愛媛県八幡浜市沖新田1581-23
電話番号:0894-21-4775(どーや市場)、0894-21-1537(どーや食堂)
営業時間:8:00〜16:00
定休日:不定休
大洲の町並み・おはなはん通り
戦火を免れて藩政時代の区割りと明治・大正時代の町並みが残る城下町
江戸時代の町割と建物群がそのまま残された大洲を代表する通り
連続テレビ小説のロケ地となったことで名付けられた「おはなはん通り」は、大洲の町並み歩きの中心的な存在。石畳の道に沿って流れる疎水には色鮮やかな錦鯉が泳ぎ、なまこ壁の蔵や歴史的建造物が軒を連ねる風景にしっとりとした風情が漂う、どこを撮っても画になるエリアです。
歴史的町並みが残るしっとりした風情に心が落ち着く
6万石の城下町として栄えた大洲の町並みも、南予指折りの町歩きスポットです。清流・肱川の畔に佇む大洲城の南東に広がる旧城下町は肱南地区と呼ばれ、江戸後期から昭和初期に建てられた町家が集中する風情のあるエリア。老舗の和菓子屋や新しくできたカフェや雑貨屋など魅力ある立ち寄りスポットも各所に点在しています。
閑静で美しい町並みは「質実剛健」、「侘び寂び」という言葉が似つかわしいのかも
江戸時代から明治時代にかけて建てられた屋敷が当時のまま残る大洲の町並みも、南予指折りの町歩きスポット。内子が商家の町並みであるのに対し、大洲は城下町であることが特徴かもしれません。古き良き町並みを気の向くままにそぞろ歩いてみれば、きっといろいろな出会いや発見があるはず。
町並みを残しながら新しく生まれ変わったまちには“本物”の良さがあります
大洲の町歩きの中心部は「おはなはん通り」。この辺りには江戸時代の区割りが残されていて、石畳の道を挟んで南側が武家屋敷跡、北側が商家となっています。旧城下町の肱南地区には、2020年にオープンしたNIPPONIA HOTEL大洲 城下町をはじめ、古民家カフェや雑貨屋、スイーツ店、クラフトビールの醸造所まで、素敵な立ち寄りスポットが続々と誕生しています。
臥龍山荘
構想10年、建築に4年、明治時代に建てられた数寄屋造りの名建築
すぐれた感性と匠の技に感嘆する日本建築の粋を尽くした名建築
構想に10年、建築におよそ4年をかけた「臥龍山荘」は、明治時代に建てられた数寄屋造りの名建築。四季折々に移り変わる清流・肱川の自然を借景に、細部にまで趣向が凝らされた建物と、自然の造形が素晴らしい庭園は、時を忘れて見入ってしまうほど見事なものです。
四季折々に移り変わる自然と調和した建物と庭園に心が和む癒しのスポット
歴代大洲藩主の遊賞地であった「臥龍淵」の畔に建てられた「臥龍山荘」は、木蝋貿易で富を築いた河内寅次郎が茶の湯文化を守るため、京都から名大工や茶室建築家を呼び寄せて築造した山荘です。“材料の精選、着想の秀抜、加えて名工の卓越した技術”があってこそ実現できたという数寄屋造りの名建築に、時を忘れて見入ってしまいます。
細部にまで凝らされた趣向、行き渡る心遣いに日本人の美意識の高さを感じます
肱川の自然に溶け込むようにつくられた臥龍山荘は、約3,000坪の敷地に臥龍院、知止庵、不老庵という3つの数寄屋造りの建物があり、建物と一体の美を形成する見事な日本庭園が広がっています。2011年にはミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの一つ星を獲得。夢の美術館 世界の名建築100選にも選ばれた、“日本の美”の粋を集めた傑作です。
侘び寂びの精神や四季を表現した意匠、職人の遊び心に感嘆することしきり
隅々まで計算し尽くされた美で構成された臥龍院には、水をあしらった欄間彫刻、蝋燭の灯で月のように浮かび上がる丸窓、コウモリの細工が施された襖の引手など、至るところに繊細な侘び・寂びの精神を感じます。細い竹を複雑に編み込んだ丸天井に、肱川の川面に反射した月明かりを写すという「不老庵」の趣向には本当に驚かされました!
長浜大橋
どこかレトロ雰囲気をまとった美しいトラス構造の“赤橋”
現役で動く日本最古の道路可動橋での上から迎える静かな夕暮れ
肱川河口に架かる長浜大橋は、1935年に完成した現役で動く国内最古の道路可動橋。地元では「赤橋」の名で親しまれています。トラス構造のレトロな赤橋が夕日に染まる頃には、不思議と郷愁をかき立てられるような景色が広がります。
肱川の河口に架かる現役で稼働する日本最古の道路可動橋
思いっきり遊んだ1日も終わり。夕やけこやけラインから海を眺めながらのラストドライブを楽しみます。最後に立ち寄るのは肱川の河口に架けられた国内最古の現役可動橋である長浜大橋。日も暮れかけて赤く染まり始めた空に、レトロな赤橋が映えて、なんとも言えないいい雰囲気。旅の締めくくりにふさわしい郷愁を誘う風景でした。
1935年に完成した長浜大橋は、橋の中央部分を開閉することで船の往来ができるようにしたバスキュール式鉄鋼開閉橋です。幹線道路としての役割は新長浜大橋に譲ったものの、現在でも生活道路として地元の車両や通学の児童生徒に利用されています。2009年に国の近代化産業遺産として認定され、2014年には国の重要文化財にも指定されました。
河川舟運と海運が盛んだった長浜の繁栄を象徴するバスキュール式鉄鋼開閉橋
かつて長浜は肱川の水運の拠点として栄えた港町。たくさんの船が荷物の積み替えるために往来していたそうです。当時、肱川を渡るために渡船を使っていましたが、船の通行を妨げることなく人や車が往来できるようにと可動橋が架けられたんだそうです。大型船の通航がなくなった現在は、週末に点検を兼ねた開閉が行われています。(現在は工事の為、開閉は行われておりません。詳細は長浜支所までお問い合わせください。)
赤橋を渡る地元の人たちや通学する子どもたちの姿にほっこり
幹線道路としての役割は1977年に完成した新長浜大橋に譲ったものの、今も生活道路として、地元の車両や子どもたちの通学などに利用されています。レトロな赤橋を地元の人たちが渡る風景はどこかのんびりしていて思わずほっこり。2009年に国の近代化産業遺産として認定され、2014年には国の重要文化財にも指定されました。