特集:プレミアムミニバンの祖、帰還新しい日産の狼煙となる新型エルグランド
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特集:プレミアムミニバンの祖、帰還新しい日産の狼煙となる新型エルグランド
他がやらぬことをやる
CL:さて、エルグランドは「プレミアムミニバンのパイオニア」ですが、日産は「プレーリー」や「Be-1」など、時代に先駆けたクルマも多いです。もちろん技術についても言えますが、一野さんの中でそうしたクルマが日産に多いことに対して、どう思われていますか?
一野DCVE:まさしく日産のDNAそのものだと思います。我々日産の長い歴史を顧みるとわかることですが、とにかく新しいもの、新しい技術にもどんどん挑戦していく勇気とエネルギーがあります。「他がやらぬことをやる」。これが、我々、日産のDNAだと思います。
CL:さて、エルグランドは「プレミアムミニバンのパイオニア」ですが、日産は「プレーリー」や「Be-1」など、時代に先駆けたクルマも多いです。もちろん技術についても言えますが、一野さんの中でそうしたクルマが日産に多いことに対して、どう思われていますか?
一野DCVE:まさしく日産のDNAそのものだと思います。我々日産の長い歴史を顧みるとわかることですが、とにかく新しいもの、新しい技術にもどんどん挑戦していく勇気とエネルギーがあります。「他がやらぬことをやる」。これが、我々、日産のDNAだと思います。
CL:さて、エルグランドは「プレミアムミニバンのパイオニア」ですが、日産は「プレーリー」や「Be-1」など、時代に先駆けたクルマも多いです。もちろん技術についても言えますが、一野さんの中でそうしたクルマが日産に多いことに対して、どう思われていますか?
一野DCVE:まさしく日産のDNAそのものだと思います。我々日産の長い歴史を顧みるとわかることですが、とにかく新しいもの、新しい技術にもどんどん挑戦していく勇気とエネルギーがあります。「他がやらぬことをやる」。これが、我々、日産のDNAだと思います。
「ミニバン」というカテゴリージャンルがなかった時代に登場した「プレーリー」(1982年)
「ミニバン」というカテゴリージャンルがなかった時代に登場した「プレーリー」(1982年)
「ミニバン」というカテゴリージャンルがなかった時代に登場した「プレーリー」(1982年)
CL:一野さんのご経験で実際に感じられたことはありますか。
一野DCVE:私自身が、自分のやりたい仕事をやらせていただいて、本当にチャレンジングに仕事に向き合ってこられたと思っています。上司が部下に対して、とにかく前例がないことを奨励したり、また疎外しないという伝統が日産にはあると思うんです。
CL:今、一野さんはその上司の立場にいらっしゃるわけですが。
CL:一野さんのご経験で実際に感じられたことはありますか。
一野DCVE:私自身が、自分のやりたい仕事をやらせていただいて、本当にチャレンジングに仕事に向き合ってこられたと思っています。上司が部下に対して、とにかく前例がないことを奨励したり、また疎外しないという伝統が日産にはあると思うんです。
CL:今、一野さんはその上司の立場にいらっしゃるわけですが。
CL:一野さんのご経験で実際に感じられたことはありますか。
一野DCVE:私自身が、自分のやりたい仕事をやらせていただいて、本当にチャレンジングに仕事に向き合ってこられたと思っています。上司が部下に対して、とにかく前例がないことを奨励したり、また疎外しないという伝統が日産にはあると思うんです。
CL:今、一野さんはその上司の立場にいらっしゃるわけですが。
シートアレンジやセンターピラーレス構造など「プレーリー」の特徴はミニバンの基礎となった
シートアレンジやセンターピラーレス構造など「プレーリー」の特徴はミニバンの基礎となった
シートアレンジやセンターピラーレス構造など「プレーリー」の特徴はミニバンの基礎となった
一野DCVE:私が入社した時は、車体設計に配属されてドアの設計を担当していました。しかし、車体設計だけでなく、その後は海外に行ったり、購買に行ったり、とにかく色々な仕事をさせていただきました。当時は若さもありましたから正直、色々な思いもありましたが、自分自身のチャレンジ精神と日産のDNAのおかげか、とにかく目一杯、仕事をしてきました。その経験からか、設計の気持ちも、購買の気持ちも、また開発側だけでなく本社側の気持ちも理解することができるようになったと思います。だから今、部下を持つ私としては、部下に様々な視点からアドバイスをするようにしています。また、海外での生活も長かったのでダイバーシティという考え方も培われたことで、画一的な決め方や、社内の仕事だけでなく、お客さまも含めて様々なアプローチの仕方などを柔軟に考えられるのではないかと思います。そうした柔軟さが新しいものにチャレンジしていく私自身のパワーにもなっていますし、部下に対しても挑戦していく環境になっているのではないかと考えています。
一野DCVE:私が入社した時は、車体設計に配属されてドアの設計を担当していました。しかし、車体設計だけでなく、その後は海外に行ったり、購買に行ったり、とにかく色々な仕事をさせていただきました。当時は若さもありましたから正直、色々な思いもありましたが、自分自身のチャレンジ精神と日産のDNAのおかげか、とにかく目一杯、仕事をしてきました。その経験からか、設計の気持ちも、購買の気持ちも、また開発側だけでなく本社側の気持ちも理解することができるようになったと思います。だから今、部下を持つ私としては、部下に様々な視点からアドバイスをするようにしています。また、海外での生活も長かったのでダイバーシティという考え方も培われたことで、画一的な決め方や、社内の仕事だけでなく、お客さまも含めて様々なアプローチの仕方などを柔軟に考えられるのではないかと思います。そうした柔軟さが新しいものにチャレンジしていく私自身のパワーにもなっていますし、部下に対しても挑戦していく環境になっているのではないかと考えています。
一野DCVE:私が入社した時は、車体設計に配属されてドアの設計を担当していました。しかし、車体設計だけでなく、その後は海外に行ったり、購買に行ったり、とにかく色々な仕事をさせていただきました。当時は若さもありましたから正直、色々な思いもありましたが、自分自身のチャレンジ精神と日産のDNAのおかげか、とにかく目一杯、仕事をしてきました。その経験からか、設計の気持ちも、購買の気持ちも、また開発側だけでなく本社側の気持ちも理解することができるようになったと思います。だから今、部下を持つ私としては、部下に様々な視点からアドバイスをするようにしています。また、海外での生活も長かったのでダイバーシティという考え方も培われたことで、画一的な決め方や、社内の仕事だけでなく、お客さまも含めて様々なアプローチの仕方などを柔軟に考えられるのではないかと思います。そうした柔軟さが新しいものにチャレンジしていく私自身のパワーにもなっていますし、部下に対しても挑戦していく環境になっているのではないかと考えています。
Be-1(1987年)
Be-1(1987年)
Be-1(1987年)
PAO(1989年)
PAO(1989年)
PAO(1989年)
フィガロ(1991年)
フィガロ(1991年)
フィガロ(1991年)
CL:時代に先駆けたクルマがある一方で、正直、その先駆けのクルマやアイディアが他社によって追い越されてしまっている現実もありますね。とても悔しいところなのですが。
一野DCVE:まず、他社が真似をしたくなるほど、日産車はアイディアも良く、マーケットも深く研究していたのだと思います。しかし、その後、きちんとキャッチアップをしていなかった。マーケットの変化を把握していなかった。それに対応したアップデートも十分ではなかった。結局、自分たちの努力が足りなかったのだと思います。その為、我々が最初にやっていたことなのに他社に追い越されてしまったのだと思っています。
CL:時代に先駆けたクルマがある一方で、正直、その先駆けのクルマやアイディアが他社によって追い越されてしまっている現実もありますね。とても悔しいところなのですが。
一野DCVE:まず、他社が真似をしたくなるほど、日産車はアイディアも良く、マーケットも深く研究していたのだと思います。しかし、その後、きちんとキャッチアップをしていなかった。マーケットの変化を把握していなかった。それに対応したアップデートも十分ではなかった。結局、自分たちの努力が足りなかったのだと思います。その為、我々が最初にやっていたことなのに他社に追い越されてしまったのだと思っています。
CL:時代に先駆けたクルマがある一方で、正直、その先駆けのクルマやアイディアが他社によって追い越されてしまっている現実もありますね。とても悔しいところなのですが。
一野DCVE:まず、他社が真似をしたくなるほど、日産車はアイディアも良く、マーケットも深く研究していたのだと思います。しかし、その後、きちんとキャッチアップをしていなかった。マーケットの変化を把握していなかった。それに対応したアップデートも十分ではなかった。結局、自分たちの努力が足りなかったのだと思います。その為、我々が最初にやっていたことなのに他社に追い越されてしまったのだと思っています。

