日産名車再生クラブ
日産名車再生クラブ
日産名車再生クラブ
RNN14パルサー(サニー)GTI-R 1992年RACラリー参戦車
WRCワークスを学ぶ
10年振りのラリー車
「数年前からこのクルマをやりたいと思っていたんですよ」とお話しくださったのは、日産名車再生クラブ代表の木賀新一さん。満を持して2023年のレストア対象車両として再生クラブが選んだのは「RNN14パルサー GTI-R 1992年RACラリー参戦車」だった。
「日産名車再生クラブ」は、2006年4月に日産テクニカルセンター内の開発部門従業員を中心に活動を開始した社内クラブのことで、関連会社からの参加も含めて2023年の登録クラブ会員数は115名を数える。クラブ設立以来、日産の財産である歴史的な車両を当時の状態で動態保存すること。そして古いクルマを再生する過程で先輩方のクルマ作り、技術的な工夫や考え方を学ぶことを目的とし、「240RS 1983年モンテカルロラリー仕様車」を皮切りに、1964年日本グランプリ2位入賞車「プリンス スカイライン GT」等、モータースポーツにおいて輝かしい成績を修めた車両や、1947年 たま電気自動車「E4S-47 I」、おもしろいところでいえば、横浜市にある遊戯施設「こどもの国」でアトラクションの一つとして活用されていた「ダットサン・ベビィ(1965年)」等、まさに「名車」を「再生」してきた。
「数年前からこのクルマをやりたいと思っていたんですよ」とお話しくださったのは、日産名車再生クラブ代表の木賀新一さん。満を持して2023年のレストア対象車両として再生クラブが選んだのは「RNN14パルサー GTI-R 1992年RACラリー参戦車」だった。
「日産名車再生クラブ」は、2006年4月に日産テクニカルセンター内の開発部門従業員を中心に活動を開始した社内クラブのことで、関連会社からの参加も含めて2023年の登録クラブ会員数は115名を数える。クラブ設立以来、日産の財産である歴史的な車両を当時の状態で動態保存すること。そして古いクルマを再生する過程で先輩方のクルマ作り、技術的な工夫や考え方を学ぶことを目的とし、「240RS 1983年モンテカルロラリー仕様車」を皮切りに、1964年日本グランプリ2位入賞車「プリンス スカイライン GT」等、モータースポーツにおいて輝かしい成績を修めた車両や、1947年 たま電気自動車「E4S-47 I」、おもしろいところでいえば、横浜市にある遊戯施設「こどもの国」でアトラクションの一つとして活用されていた「ダットサン・ベビィ(1965年)」等、まさに「名車」を「再生」してきた。
「数年前からこのクルマをやりたいと思っていたんですよ」とお話しくださったのは、日産名車再生クラブ代表の木賀新一さん。満を持して2023年のレストア対象車両として再生クラブが選んだのは「RNN14パルサー GTI-R 1992年RACラリー参戦車」だった。
「日産名車再生クラブ」は、2006年4月に日産テクニカルセンター内の開発部門従業員を中心に活動を開始した社内クラブのことで、関連会社からの参加も含めて2023年の登録クラブ会員数は115名を数える。クラブ設立以来、日産の財産である歴史的な車両を当時の状態で動態保存すること。そして古いクルマを再生する過程で先輩方のクルマ作り、技術的な工夫や考え方を学ぶことを目的とし、「240RS 1983年モンテカルロラリー仕様車」を皮切りに、1964年日本グランプリ2位入賞車「プリンス スカイライン GT」等、モータースポーツにおいて輝かしい成績を修めた車両や、1947年 たま電気自動車「E4S-47 I」、おもしろいところでいえば、横浜市にある遊戯施設「こどもの国」でアトラクションの一つとして活用されていた「ダットサン・ベビィ(1965年)」等、まさに「名車」を「再生」してきた。
今回レストアすることになった「RNN14パルサー GTI-R 1992年RACラリー参戦車」では、当時の電子制御4WDシステム技術やWRC グループA車両の構造、クルマづくりのノウハウを学びながら、WRCワークス活動の内容を学ぶことを目的としたという。木賀さんは、「実は2020年にやりたいと思っていたのですが、コロナ禍でクラブ活動についても先が見えない状況もあり、一旦見送った経緯があったんです。また、2013年に取り組んだ240Z(1971年サファリラリー優勝車)以降、ラリー車を手掛けていなかったこともあったので、丁度良いタイミングだと考えました」と話す。
今回レストアすることになった「RNN14パルサー GTI-R 1992年RACラリー参戦車」では、当時の電子制御4WDシステム技術やWRC グループA車両の構造、クルマづくりのノウハウを学びながら、WRCワークス活動の内容を学ぶことを目的としたという。木賀さんは、「実は2020年にやりたいと思っていたのですが、コロナ禍でクラブ活動についても先が見えない状況もあり、一旦見送った経緯があったんです。また、2013年に取り組んだ240Z(1971年サファリラリー優勝車)以降、ラリー車を手掛けていなかったこともあったので、丁度良いタイミングだと考えました」と話す。
今回レストアすることになった「RNN14パルサー GTI-R 1992年RACラリー参戦車」では、当時の電子制御4WDシステム技術やWRC グループA車両の構造、クルマづくりのノウハウを学びながら、WRCワークス活動の内容を学ぶことを目的としたという。木賀さんは、「実は2020年にやりたいと思っていたのですが、コロナ禍でクラブ活動についても先が見えない状況もあり、一旦見送った経緯があったんです。また、2013年に取り組んだ240Z(1971年サファリラリー優勝車)以降、ラリー車を手掛けていなかったこともあったので、丁度良いタイミングだと考えました」と話す。
1990年8月に先代(N13型)からの正常進化という趣で、全方位的に性能が向上した4代目「パルサー(N14型)」がデビューした。最強のスポーツグレードとして設定された「GTI-R」のパワーユニットは、「ブルーバードSSS」に搭載された2.0L直列4気筒DOHCターボのSR20DET型と同型式ながら、4連スロットルボディと大型インタークーラーを装着することで最高出力230馬力を発揮。これにフルタイム4WDシステム「アテーサ」が組み合わされた。それまでWRC(世界ラリー選手権)に適したグループAラリーカーを持たなかった日産にとって、この「GTI-R」は待望のマシンとなった。この「GTI-R」をベースに開発されたグループAラリーカーが1991年のサファリラリーでWRCにデビューし、以後2年間活躍。実戦ではエンジンパワーを300馬力にまでパワーアップした。今回レストアした車両は、1992年にS・ブロンクビスト/B・メランダー組が、イギリスのRACラリーに出場したマシンとなる。
1990年8月に先代(N13型)からの正常進化という趣で、全方位的に性能が向上した4代目「パルサー(N14型)」がデビューした。最強のスポーツグレードとして設定された「GTI-R」のパワーユニットは、「ブルーバードSSS」に搭載された2.0L直列4気筒DOHCターボのSR20DET型と同型式ながら、4連スロットルボディと大型インタークーラーを装着することで最高出力230馬力を発揮。これにフルタイム4WDシステム「アテーサ」が組み合わされた。それまでWRC(世界ラリー選手権)に適したグループAラリーカーを持たなかった日産にとって、この「GTI-R」は待望のマシンとなった。この「GTI-R」をベースに開発されたグループAラリーカーが1991年のサファリラリーでWRCにデビューし、以後2年間活躍。実戦ではエンジンパワーを300馬力にまでパワーアップした。今回レストアした車両は、1992年にS・ブロンクビスト/B・メランダー組が、イギリスのRACラリーに出場したマシンとなる。
1990年8月に先代(N13型)からの正常進化という趣で、全方位的に性能が向上した4代目「パルサー(N14型)」がデビューした。最強のスポーツグレードとして設定された「GTI-R」のパワーユニットは、「ブルーバードSSS」に搭載された2.0L直列4気筒DOHCターボのSR20DET型と同型式ながら、4連スロットルボディと大型インタークーラーを装着することで最高出力230馬力を発揮。これにフルタイム4WDシステム「アテーサ」が組み合わされた。それまでWRC(世界ラリー選手権)に適したグループAラリーカーを持たなかった日産にとって、この「GTI-R」は待望のマシンとなった。この「GTI-R」をベースに開発されたグループAラリーカーが1991年のサファリラリーでWRCにデビューし、以後2年間活躍。実戦ではエンジンパワーを300馬力にまでパワーアップした。今回レストアした車両は、1992年にS・ブロンクビスト/B・メランダー組が、イギリスのRACラリーに出場したマシンとなる。