日産名車再生クラブ
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ニスモフェスティバルでのお披露目
一方、内装に関しては欠品はないものの、経時劣化による傷みや割れ、さらに泥にまみれているうえに、ほとんどの部品がリベットで止められていた。「バラすのが大変だなと思いながらも、ラリーでのハードな走行でも外れない為の対策なのかと思いました。また、隙間という隙間をガムテープで目張りされていて、これもラリー車ならではだなと感じました。再生開始時はフォグランプが灯体のみ取り付けてあり、スイッチ、ハーネス、リレーが取り外されていました。そこでクラブ員が所有していた当時物のCIBIEフォグランプキットを取付け、ようやく活躍した当時の機能を取り戻すことが出来ました。」
無線機は搭載部分がアルミ板で塞がれており無線機搭載の事実も認識していなかったとのことだが、完成1週間前に無線機が付いている当時の写真が見つかり、急遽、外観が似ているものを探して入手した。操作パネルやマイク等についても当時の雰囲気を写真から再現。なお、パーソナル無線機は現在、電波送信可能な状態は違法となるため、無線機本体基盤ユニット部は全て撤去し、機能しない状態にしてある。
一方、内装に関しては欠品はないものの、経時劣化による傷みや割れ、さらに泥にまみれているうえに、ほとんどの部品がリベットで止められていた。「バラすのが大変だなと思いながらも、ラリーでのハードな走行でも外れない為の対策なのかと思いました。また、隙間という隙間をガムテープで目張りされていて、これもラリー車ならではだなと感じました。再生開始時はフォグランプが灯体のみ取り付けてあり、スイッチ、ハーネス、リレーが取り外されていました。そこでクラブ員が所有していた当時物のCIBIEフォグランプキットを取付け、ようやく活躍した当時の機能を取り戻すことが出来ました。」
無線機は搭載部分がアルミ板で塞がれており無線機搭載の事実も認識していなかったとのことだが、完成1週間前に無線機が付いている当時の写真が見つかり、急遽、外観が似ているものを探して入手した。操作パネルやマイク等についても当時の雰囲気を写真から再現。なお、パーソナル無線機は現在、電波送信可能な状態は違法となるため、無線機本体基盤ユニット部は全て撤去し、機能しない状態にしてある。
一方、内装に関しては欠品はないものの、経時劣化による傷みや割れ、さらに泥にまみれているうえに、ほとんどの部品がリベットで止められていた。「バラすのが大変だなと思いながらも、ラリーでのハードな走行でも外れない為の対策なのかと思いました。また、隙間という隙間をガムテープで目張りされていて、これもラリー車ならではだなと感じました。再生開始時はフォグランプが灯体のみ取り付けてあり、スイッチ、ハーネス、リレーが取り外されていました。そこでクラブ員が所有していた当時物のCIBIEフォグランプキットを取付け、ようやく活躍した当時の機能を取り戻すことが出来ました。」
無線機は搭載部分がアルミ板で塞がれており無線機搭載の事実も認識していなかったとのことだが、完成1週間前に無線機が付いている当時の写真が見つかり、急遽、外観が似ているものを探して入手した。操作パネルやマイク等についても当時の雰囲気を写真から再現。なお、パーソナル無線機は現在、電波送信可能な状態は違法となるため、無線機本体基盤ユニット部は全て撤去し、機能しない状態にしてある。
例によって部品調達も苦労があったようだが、「日産純正部品については必要なものは殆ど入手出来た印象です。入手出来ないフードダンパー等の部品はアフターマーケットの部品を使ったり、クラブ員や個人の方の協力など、横のつながりで揃えました」と河合さん。例えば、このHZ31は全日本ラリーでは必須アイテムだったラリーコンピュータが外されており、アルミ板で蓋がされた状態であった。ラリー車としてラリーコンピュータは必須だと考えていたが、調査をしても機種特定が困難であったという。「そんな折にニスモ所有の車室内写真にチラッと写っているのを見つけ、特徴のある機種であったためにやっと判明しました。そして、昔ラリーをやっていた方々に協力していただき、無事に入手し取り付けることができました。車体側に専用のブラケットが残っていたので、そのままボルトオンで取り付け出来ました。」
例によって部品調達も苦労があったようだが、「日産純正部品については必要なものは殆ど入手出来た印象です。入手出来ないフードダンパー等の部品はアフターマーケットの部品を使ったり、クラブ員や個人の方の協力など、横のつながりで揃えました」と河合さん。例えば、このHZ31は全日本ラリーでは必須アイテムだったラリーコンピュータが外されており、アルミ板で蓋がされた状態であった。ラリー車としてラリーコンピュータは必須だと考えていたが、調査をしても機種特定が困難であったという。「そんな折にニスモ所有の車室内写真にチラッと写っているのを見つけ、特徴のある機種であったためにやっと判明しました。そして、昔ラリーをやっていた方々に協力していただき、無事に入手し取り付けることができました。車体側に専用のブラケットが残っていたので、そのままボルトオンで取り付け出来ました。」
例によって部品調達も苦労があったようだが、「日産純正部品については必要なものは殆ど入手出来た印象です。入手出来ないフードダンパー等の部品はアフターマーケットの部品を使ったり、クラブ員や個人の方の協力など、横のつながりで揃えました」と河合さん。例えば、このHZ31は全日本ラリーでは必須アイテムだったラリーコンピュータが外されており、アルミ板で蓋がされた状態であった。ラリー車としてラリーコンピュータは必須だと考えていたが、調査をしても機種特定が困難であったという。「そんな折にニスモ所有の車室内写真にチラッと写っているのを見つけ、特徴のある機種であったためにやっと判明しました。そして、昔ラリーをやっていた方々に協力していただき、無事に入手し取り付けることができました。車体側に専用のブラケットが残っていたので、そのままボルトオンで取り付け出来ました。」
「提供して頂いたといえば『神岡Z』の特徴でもあるステアリングの革グリップは神岡さんご本人から頂いた当時のスペア品、ホンモノです!」と河合さんは教えてくれた。当初はMOMO社製ステアリングが装着されていたが、シーズン途中より現在装着されているニスモのステアリングに変更になっていたことが判明し、レストアではそのまま使用することになった。しかし、神岡車両の特徴であるステアリングに巻かれた革の滑り止めを再現したく、当時と同じような物を探したが中々見付からず困っていた所、神岡氏ご本人所有の当時の新品を譲っていただいたという。
「提供して頂いたといえば『神岡Z』の特徴でもあるステアリングの革グリップは神岡さんご本人から頂いた当時のスペア品、ホンモノです!」と河合さんは教えてくれた。当初はMOMO社製ステアリングが装着されていたが、シーズン途中より現在装着されているニスモのステアリングに変更になっていたことが判明し、レストアではそのまま使用することになった。しかし、神岡車両の特徴であるステアリングに巻かれた革の滑り止めを再現したく、当時と同じような物を探したが中々見付からず困っていた所、神岡氏ご本人所有の当時の新品を譲っていただいたという。
「提供して頂いたといえば『神岡Z』の特徴でもあるステアリングの革グリップは神岡さんご本人から頂いた当時のスペア品、ホンモノです!」と河合さんは教えてくれた。当初はMOMO社製ステアリングが装着されていたが、シーズン途中より現在装着されているニスモのステアリングに変更になっていたことが判明し、レストアではそのまま使用することになった。しかし、神岡車両の特徴であるステアリングに巻かれた革の滑り止めを再現したく、当時と同じような物を探したが中々見付からず困っていた所、神岡氏ご本人所有の当時の新品を譲っていただいたという。
「無事装着して当時の雰囲気を再現することが出来ました。他にも走行用タイヤは当時のものを使うのは危険なので現行のダート用タイヤをダンロップさんからご提供頂くなど、多くの方々のご協力を今回もいただきました。ダンロップさんからは、走行用に加えて展示用のタイヤもご提供いただきましたし、塗料提供は、ロックペイントの担当の方がNTCまでお越しくださって現車の色味を確認の上、塗料を作成いただきました。また、部品購入はバラクーダ様、大場鈑金様、サスペンションショックアブソーバーオーバーホールはBILS様、ステッカー制作はトミークラフト様にご協力いただきました。もちろん、会社関係のみならず、媒体のみなさん、そしてラリーファンのみなさまにも情報を含めてご協力いただきました。ありがとうございました。」と河合さんはクラブを代表して感謝されていた。
「無事装着して当時の雰囲気を再現することが出来ました。他にも走行用タイヤは当時のものを使うのは危険なので現行のダート用タイヤをダンロップさんからご提供頂くなど、多くの方々のご協力を今回もいただきました。ダンロップさんからは、走行用に加えて展示用のタイヤもご提供いただきましたし、塗料提供は、ロックペイントの担当の方がNTCまでお越しくださって現車の色味を確認の上、塗料を作成いただきました。また、部品購入はバラクーダ様、大場鈑金様、サスペンションショックアブソーバーオーバーホールはBILS様、ステッカー制作はトミークラフト様にご協力いただきました。もちろん、会社関係のみならず、媒体のみなさん、そしてラリーファンのみなさまにも情報を含めてご協力いただきました。ありがとうございました。」と河合さんはクラブを代表して感謝されていた。
「無事装着して当時の雰囲気を再現することが出来ました。他にも走行用タイヤは当時のものを使うのは危険なので現行のダート用タイヤをダンロップさんからご提供頂くなど、多くの方々のご協力を今回もいただきました。ダンロップさんからは、走行用に加えて展示用のタイヤもご提供いただきましたし、塗料提供は、ロックペイントの担当の方がNTCまでお越しくださって現車の色味を確認の上、塗料を作成いただきました。また、部品購入はバラクーダ様、大場鈑金様、サスペンションショックアブソーバーオーバーホールはBILS様、ステッカー制作はトミークラフト様にご協力いただきました。もちろん、会社関係のみならず、媒体のみなさん、そしてラリーファンのみなさまにも情報を含めてご協力いただきました。ありがとうございました。」と河合さんはクラブを代表して感謝されていた。
昨年、パルサーGTI-Rによるニスモフェスティバルでの走行が叶わなかったことからも、なんとか間に合わせたいと気合いを入れて進めたこのHZ31型フェアレディZの再生は、11月中旬頃からは業務終了後に細かい作業を進め、11月24日(日)に社内の試走路で走行チェックし、走行に問題がないことが確認された。「調子は良かったと言いますか、至って普通のクルマでした。ファイナル減速比が5.1とローギアードの為、あっと言う間に5速までシフトアップできました。」そして、11月30日(土)には富士スピードウェイに於いて木下隆之さんによるテスト走行を経て、12月1日(日)和田孝夫さんによるドライブでニスモフェスティバルでお披露目となった。
昨年、パルサーGTI-Rによるニスモフェスティバルでの走行が叶わなかったことからも、なんとか間に合わせたいと気合いを入れて進めたこのHZ31型フェアレディZの再生は、11月中旬頃からは業務終了後に細かい作業を進め、11月24日(日)に社内の試走路で走行チェックし、走行に問題がないことが確認された。「調子は良かったと言いますか、至って普通のクルマでした。ファイナル減速比が5.1とローギアードの為、あっと言う間に5速までシフトアップできました。」そして、11月30日(土)には富士スピードウェイに於いて木下隆之さんによるテスト走行を経て、12月1日(日)和田孝夫さんによるドライブでニスモフェスティバルでお披露目となった。
昨年、パルサーGTI-Rによるニスモフェスティバルでの走行が叶わなかったことからも、なんとか間に合わせたいと気合いを入れて進めたこのHZ31型フェアレディZの再生は、11月中旬頃からは業務終了後に細かい作業を進め、11月24日(日)に社内の試走路で走行チェックし、走行に問題がないことが確認された。「調子は良かったと言いますか、至って普通のクルマでした。ファイナル減速比が5.1とローギアードの為、あっと言う間に5速までシフトアップできました。」そして、11月30日(土)には富士スピードウェイに於いて木下隆之さんによるテスト走行を経て、12月1日(日)和田孝夫さんによるドライブでニスモフェスティバルでお披露目となった。
ニスモ40周年を象徴するマシンとして当時を彷彿とさせる走りで多くの日産・ニスモファンを魅了したこの「HZ31型フェアレディZ 300ZX 1985年全日本ラリー選手権優勝車」。イベントに華を添え、無事に先導車としての大役を果たしたこのマシンは、日産DNAを後世へと伝える使命を担う一台として、今後も私たちを楽しませてくれるだろう。
ニスモ40周年を象徴するマシンとして当時を彷彿とさせる走りで多くの日産・ニスモファンを魅了したこの「HZ31型フェアレディZ 300ZX 1985年全日本ラリー選手権優勝車」。イベントに華を添え、無事に先導車としての大役を果たしたこのマシンは、日産DNAを後世へと伝える使命を担う一台として、今後も私たちを楽しませてくれるだろう。
ニスモ40周年を象徴するマシンとして当時を彷彿とさせる走りで多くの日産・ニスモファンを魅了したこの「HZ31型フェアレディZ 300ZX 1985年全日本ラリー選手権優勝車」。イベントに華を添え、無事に先導車としての大役を果たしたこのマシンは、日産DNAを後世へと伝える使命を担う一台として、今後も私たちを楽しませてくれるだろう。