特集:新型リーフに見る日産EVのDNA
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時代の要請で復活した電気自動車
モータリゼーションの発展に伴う一方で、昭和41年(1966年)1月にカリフォルニア州で排出ガス規制が発令、昭和42年(1967年)「公害対策基本法」の施行、続いて昭和45年(1970年)12月に成立された「マスキー法」等、時代の要請として排出ガスの清浄化対策が必須となった。そこで低公害車として電気自動車が見直されてきた。例えば全国乳業連合会は当時イギリスで早朝に騒音を出さないとして普及していた牛乳配達用電気自動車と同様のシステムの導入を図ったり、オフピーク時の利用による電力の標準化を推進したい電力会社は、熱心に電気自動車の開発を計画して自社での試作も進めるなど、様々な電気自動車の研究開発が行われた。
モータリゼーションの発展に伴う一方で、昭和41年(1966年)1月にカリフォルニア州で排出ガス規制が発令、昭和42年(1967年)「公害対策基本法」の施行、続いて昭和45年(1970年)12月に成立された「マスキー法」等、時代の要請として排出ガスの清浄化対策が必須となった。そこで低公害車として電気自動車が見直されてきた。例えば全国乳業連合会は当時イギリスで早朝に騒音を出さないとして普及していた牛乳配達用電気自動車と同様のシステムの導入を図ったり、オフピーク時の利用による電力の標準化を推進したい電力会社は、熱心に電気自動車の開発を計画して自社での試作も進めるなど、様々な電気自動車の研究開発が行われた。
モータリゼーションの発展に伴う一方で、昭和41年(1966年)1月にカリフォルニア州で排出ガス規制が発令、昭和42年(1967年)「公害対策基本法」の施行、続いて昭和45年(1970年)12月に成立された「マスキー法」等、時代の要請として排出ガスの清浄化対策が必須となった。そこで低公害車として電気自動車が見直されてきた。例えば全国乳業連合会は当時イギリスで早朝に騒音を出さないとして普及していた牛乳配達用電気自動車と同様のシステムの導入を図ったり、オフピーク時の利用による電力の標準化を推進したい電力会社は、熱心に電気自動車の開発を計画して自社での試作も進めるなど、様々な電気自動車の研究開発が行われた。
こうした情勢の中、昭和46年(1971年)にチェリーE10型をベースに、エンジン部分にトラクションモーターを搭載し、配達荷物の積み下ろしの容易化を狙った後席の小径のタイヤを使用した超低平床FF電気トラック「EE20型」を開発した。電池は交換自在なカセット引き出し方式にするなど画期的な機構で、カセット形状を規格化して各所のスタンドに電池カセットをストックすることで、充電済みのリース用電池にユーザは素早く交換して走り去ることができるという構想であった。
こうした情勢の中、昭和46年(1971年)にチェリーE10型をベースに、エンジン部分にトラクションモーターを搭載し、配達荷物の積み下ろしの容易化を狙った後席の小径のタイヤを使用した超低平床FF電気トラック「EE20型」を開発した。電池は交換自在なカセット引き出し方式にするなど画期的な機構で、カセット形状を規格化して各所のスタンドに電池カセットをストックすることで、充電済みのリース用電池にユーザは素早く交換して走り去ることができるという構想であった。
こうした情勢の中、昭和46年(1971年)にチェリーE10型をベースに、エンジン部分にトラクションモーターを搭載し、配達荷物の積み下ろしの容易化を狙った後席の小径のタイヤを使用した超低平床FF電気トラック「EE20型」を開発した。電池は交換自在なカセット引き出し方式にするなど画期的な機構で、カセット形状を規格化して各所のスタンドに電池カセットをストックすることで、充電済みのリース用電池にユーザは素早く交換して走り去ることができるという構想であった。
EE20
EE20
EE20
モーター出力13.4kW、定格電圧96V、容量120Ahの鉛電池を搭載し、定員2名、積載量400kgであった。当時、都内では50km/日以内が90%を占めていたため、一充電走行距離が70km(40km/h時)は十分なものであった。しかし、届け出は済ませたものの、販売見込み台数が少ないためにコストが合わず、結果、販売には至っていない。なお、昭和50年(1975年)に他メーカーから小径ダブルタイヤを採用した低平床のトラックが発売されてヒットしたが、このチェリー電気トラックのアイディアと思われ、関係者は当時、悔しい思いをしたという。
一方、電気自動車は排気ガスがゼロで騒音もないという特徴を生かし、昭和47年(1972年)に、このチェリー電気トラックのプラットフォームを利用した構内案内車が制作された。座間工場、栃木工場等に配備され、VIPの工場見学の際等に使用された。また、1975(昭和50)年開催の「沖縄海洋博覧会」の会期中、那覇空港から会場までの来賓送迎用交通機関として、ローレルC130型を改造した電気自動車3台を試作している。
モーター出力13.4kW、定格電圧96V、容量120Ahの鉛電池を搭載し、定員2名、積載量400kgであった。当時、都内では50km/日以内が90%を占めていたため、一充電走行距離が70km(40km/h時)は十分なものであった。しかし、届け出は済ませたものの、販売見込み台数が少ないためにコストが合わず、結果、販売には至っていない。なお、昭和50年(1975年)に他メーカーから小径ダブルタイヤを採用した低平床のトラックが発売されてヒットしたが、このチェリー電気トラックのアイディアと思われ、関係者は当時、悔しい思いをしたという。
一方、電気自動車は排気ガスがゼロで騒音もないという特徴を生かし、昭和47年(1972年)に、このチェリー電気トラックのプラットフォームを利用した構内案内車が制作された。座間工場、栃木工場等に配備され、VIPの工場見学の際等に使用された。また、1975(昭和50)年開催の「沖縄海洋博覧会」の会期中、那覇空港から会場までの来賓送迎用交通機関として、ローレルC130型を改造した電気自動車3台を試作している。
モーター出力13.4kW、定格電圧96V、容量120Ahの鉛電池を搭載し、定員2名、積載量400kgであった。当時、都内では50km/日以内が90%を占めていたため、一充電走行距離が70km(40km/h時)は十分なものであった。しかし、届け出は済ませたものの、販売見込み台数が少ないためにコストが合わず、結果、販売には至っていない。なお、昭和50年(1975年)に他メーカーから小径ダブルタイヤを採用した低平床のトラックが発売されてヒットしたが、このチェリー電気トラックのアイディアと思われ、関係者は当時、悔しい思いをしたという。
一方、電気自動車は排気ガスがゼロで騒音もないという特徴を生かし、昭和47年(1972年)に、このチェリー電気トラックのプラットフォームを利用した構内案内車が制作された。座間工場、栃木工場等に配備され、VIPの工場見学の際等に使用された。また、1975(昭和50)年開催の「沖縄海洋博覧会」の会期中、那覇空港から会場までの来賓送迎用交通機関として、ローレルC130型を改造した電気自動車3台を試作している。
構内案内車(1978年10月・鄧小平副首相来日時の工場見学での様子)
構内案内車(1978年10月・鄧小平副首相来日時の工場見学での様子)
構内案内車(1978年10月・鄧小平副首相来日時の工場見学での様子)
ローレルC130型を改造した電気自動車
ローレルC130型を改造した電気自動車
ローレルC130型を改造した電気自動車
国家的見地から電気自動車の技術開発を推進するため、自動車、電機、電池、材料各メーカーに官、学が加わった大型プロジェクトが昭和46年(1971年)度より6年間に亘って進められた。日産は乗員・積載量は2人+1000kg、一充電走行距離は302km(40km/h時)を実現する第一次実験車「EV4-P」を完成し、他社開発車を圧倒した。また、衝突実験での電池の挙動や公道での実用性もモニターしている。この車両は昭和48年(1973年)開催の「第20回東京モーターショー」に「EV4-Pプロトタイプ」として出品されている。
国家的見地から電気自動車の技術開発を推進するため、自動車、電機、電池、材料各メーカーに官、学が加わった大型プロジェクトが昭和46年(1971年)度より6年間に亘って進められた。日産は乗員・積載量は2人+1000kg、一充電走行距離は302km(40km/h時)を実現する第一次実験車「EV4-P」を完成し、他社開発車を圧倒した。また、衝突実験での電池の挙動や公道での実用性もモニターしている。この車両は昭和48年(1973年)開催の「第20回東京モーターショー」に「EV4-Pプロトタイプ」として出品されている。
国家的見地から電気自動車の技術開発を推進するため、自動車、電機、電池、材料各メーカーに官、学が加わった大型プロジェクトが昭和46年(1971年)度より6年間に亘って進められた。日産は乗員・積載量は2人+1000kg、一充電走行距離は302km(40km/h時)を実現する第一次実験車「EV4-P」を完成し、他社開発車を圧倒した。また、衝突実験での電池の挙動や公道での実用性もモニターしている。この車両は昭和48年(1973年)開催の「第20回東京モーターショー」に「EV4-Pプロトタイプ」として出品されている。
EV4-P
EV4-P
EV4-P
第20回東京モーターショーの様子
第20回東京モーターショーの様子
第20回東京モーターショーの様子
第一次の成果を踏まえ、乗員2名、積載量1トンのキャブオーバー型トラックの第二次試作車「EV4-H」が開発された。新型電池を搭載し、さらに高性能化が図られて、電動機形式は直流分捲で定格出力27kW、定格電圧110V、亜鉛空気電池総電圧165V、容量400Ah、鉛酸電池総電圧120V、容量(5時間率)170Ah、乗員・積載量は2人+1000kgで、一充電走行距離は496km(40km/h時)を達成し、これは世界最高記録となった。
第一次の成果を踏まえ、乗員2名、積載量1トンのキャブオーバー型トラックの第二次試作車「EV4-H」が開発された。新型電池を搭載し、さらに高性能化が図られて、電動機形式は直流分捲で定格出力27kW、定格電圧110V、亜鉛空気電池総電圧165V、容量400Ah、鉛酸電池総電圧120V、容量(5時間率)170Ah、乗員・積載量は2人+1000kgで、一充電走行距離は496km(40km/h時)を達成し、これは世界最高記録となった。
第一次の成果を踏まえ、乗員2名、積載量1トンのキャブオーバー型トラックの第二次試作車「EV4-H」が開発された。新型電池を搭載し、さらに高性能化が図られて、電動機形式は直流分捲で定格出力27kW、定格電圧110V、亜鉛空気電池総電圧165V、容量400Ah、鉛酸電池総電圧120V、容量(5時間率)170Ah、乗員・積載量は2人+1000kgで、一充電走行距離は496km(40km/h時)を達成し、これは世界最高記録となった。
EV4-H
EV4-H
EV4-H
電気自動車は環境保全のほか、石油にのみ依存せず、エネルギー危機にも有効な交通機関とされ、国の支援も加わって技術的に様々な試みが行われた。諸外国からも多くの見学者が訪れたが、結果的に日産を含め、どのメーカーもこれらの成果が多量販売車に結び付くには至らなかった。当時の電気自動車開発にとって市場への浸透は、電池性能の革新的向上、電池スタンドなどのサービスネットワークの構築、そして何よりもコストであるとされ、その解決にはもうしばらく時間がかかることになる。
電気自動車は環境保全のほか、石油にのみ依存せず、エネルギー危機にも有効な交通機関とされ、国の支援も加わって技術的に様々な試みが行われた。諸外国からも多くの見学者が訪れたが、結果的に日産を含め、どのメーカーもこれらの成果が多量販売車に結び付くには至らなかった。当時の電気自動車開発にとって市場への浸透は、電池性能の革新的向上、電池スタンドなどのサービスネットワークの構築、そして何よりもコストであるとされ、その解決にはもうしばらく時間がかかることになる。
電気自動車は環境保全のほか、石油にのみ依存せず、エネルギー危機にも有効な交通機関とされ、国の支援も加わって技術的に様々な試みが行われた。諸外国からも多くの見学者が訪れたが、結果的に日産を含め、どのメーカーもこれらの成果が多量販売車に結び付くには至らなかった。当時の電気自動車開発にとって市場への浸透は、電池性能の革新的向上、電池スタンドなどのサービスネットワークの構築、そして何よりもコストであるとされ、その解決にはもうしばらく時間がかかることになる。

