特集:新時代到来!「ニッサンクラブライフ」が紡いだ90年
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日産の「パイオニア精神」
CL:さて、そんな「ニッサンクラブライフ」を通して日産の90年を振り返ってみたいのですが、自動車産業史キュレーターとしてもご活躍の清水さんに解説をお願いしたいと思います。まず、快進社創業百周年の記念展を取材した215号「純国産自動車製造の胎動 技術者・橋本増治郎 百年浪漫」からスタートしたいのですが。
清水:「日産」という名前が付くのは、確かに1933年12月26日の帝国ホテルでの晩さん会となりますが、やはりルーツで言えば橋本増治郎から辿るべきでしょう。橋本増治郎は快進社でクルマづくりに勤しむ訳ですが、彼の視野はもう少し広く、自動車を世の中や人々に役立てていきたいというパイオニア精神だったと思います。
CL:さて、そんな「ニッサンクラブライフ」を通して日産の90年を振り返ってみたいのですが、自動車産業史キュレーターとしてもご活躍の清水さんに解説をお願いしたいと思います。まず、快進社創業百周年の記念展を取材した215号「純国産自動車製造の胎動 技術者・橋本増治郎 百年浪漫」からスタートしたいのですが。
清水:「日産」という名前が付くのは、確かに1933年12月26日の帝国ホテルでの晩さん会となりますが、やはりルーツで言えば橋本増治郎から辿るべきでしょう。橋本増治郎は快進社でクルマづくりに勤しむ訳ですが、彼の視野はもう少し広く、自動車を世の中や人々に役立てていきたいというパイオニア精神だったと思います。
CL:さて、そんな「ニッサンクラブライフ」を通して日産の90年を振り返ってみたいのですが、自動車産業史キュレーターとしてもご活躍の清水さんに解説をお願いしたいと思います。まず、快進社創業百周年の記念展を取材した215号「純国産自動車製造の胎動 技術者・橋本増治郎 百年浪漫」からスタートしたいのですが。
清水:「日産」という名前が付くのは、確かに1933年12月26日の帝国ホテルでの晩さん会となりますが、やはりルーツで言えば橋本増治郎から辿るべきでしょう。橋本増治郎は快進社でクルマづくりに勤しむ訳ですが、彼の視野はもう少し広く、自動車を世の中や人々に役立てていきたいというパイオニア精神だったと思います。
![clublife feature_02_01](http://www-asia.nissan-cdn.net/content/dam/Nissan/jp/clublife/2403/cl236/feature_02/clublife_2403_cl236_feature_02_03.jpg.ximg.l_4_m.smart.jpg)
日産の前身となる快進社自働車工業を設立した橋本増治郎
日産の前身となる快進社自働車工業を設立した橋本増治郎
日産の前身となる快進社自働車工業を設立した橋本増治郎
![clublife feature_02_01](http://www-asia.nissan-cdn.net/content/dam/Nissan/jp/clublife/2403/cl236/feature_02/clublife_2403_cl236_feature_02_04.jpg.ximg.l_4_m.smart.jpg)
日産を創立した鮎川義介
日産を創立した鮎川義介
日産を創立した鮎川義介
CL:それでいうと、「誰もが成し得ないことをなす 日産自動車の『パイオニア精神』(221号)」でもお届けしました。
清水:両号では橋本増治郎の「らしさ」が大いに語られていました。とかくモノづくりに我々は視線が行きがちです。確かにそれは大事ですし、「DAT」というクルマを作ったことは凄いことですが、橋本増治郎が残したものは日本の産業興亡期に自動車を通じて自分は何をすればいいのかという視点で活動していた行動力だと思います。
CL:創業者である鮎川義介にも同様のスケールの大きさを感じます。
清水:橋本増治郎の大きな思想は、鮎川義介にも通じていると私も考えます。日本が色々な意味で喘いでいた時代、産業も政治も発展していく黎明期における産みの苦しみの中にあった当時、鮎川義介はとにかくでっかいことをやって、立ち遅れている日本の産業にも力を注ごうとしたわけです。鮎川義介は「日産」という自動車会社を作ろうというより、むしろ自動車というより、もっと広い視野でもって日本の経済社会、産業、政治、外交を考えていたんです。
CL:その信念が日産のDNAとして日産のロゴにも表現され、現在も続いていることを「歴史と伝統と共に未来へ 至誠天日を貫く(233号)」で紹介しました。
清水:日産の生い立ちのようなものは広く知れ渡っていると思うので、こうした橋本増治郎、鮎川義介の世界観、スケールの大きさをぜひ読み取って頂きたいですね。
CL:それでいうと、「誰もが成し得ないことをなす 日産自動車の『パイオニア精神』(221号)」でもお届けしました。
清水:両号では橋本増治郎の「らしさ」が大いに語られていました。とかくモノづくりに我々は視線が行きがちです。確かにそれは大事ですし、「DAT」というクルマを作ったことは凄いことですが、橋本増治郎が残したものは日本の産業興亡期に自動車を通じて自分は何をすればいいのかという視点で活動していた行動力だと思います。
CL:創業者である鮎川義介にも同様のスケールの大きさを感じます。
清水:橋本増治郎の大きな思想は、鮎川義介にも通じていると私も考えます。日本が色々な意味で喘いでいた時代、産業も政治も発展していく黎明期における産みの苦しみの中にあった当時、鮎川義介はとにかくでっかいことをやって、立ち遅れている日本の産業にも力を注ごうとしたわけです。鮎川義介は「日産」という自動車会社を作ろうというより、むしろ自動車というより、もっと広い視野でもって日本の経済社会、産業、政治、外交を考えていたんです。
CL:その信念が日産のDNAとして日産のロゴにも表現され、現在も続いていることを「歴史と伝統と共に未来へ 至誠天日を貫く(233号)」で紹介しました。
清水:日産の生い立ちのようなものは広く知れ渡っていると思うので、こうした橋本増治郎、鮎川義介の世界観、スケールの大きさをぜひ読み取って頂きたいですね。
CL:それでいうと、「誰もが成し得ないことをなす 日産自動車の『パイオニア精神』(221号)」でもお届けしました。
清水:両号では橋本増治郎の「らしさ」が大いに語られていました。とかくモノづくりに我々は視線が行きがちです。確かにそれは大事ですし、「DAT」というクルマを作ったことは凄いことですが、橋本増治郎が残したものは日本の産業興亡期に自動車を通じて自分は何をすればいいのかという視点で活動していた行動力だと思います。
CL:創業者である鮎川義介にも同様のスケールの大きさを感じます。
清水:橋本増治郎の大きな思想は、鮎川義介にも通じていると私も考えます。日本が色々な意味で喘いでいた時代、産業も政治も発展していく黎明期における産みの苦しみの中にあった当時、鮎川義介はとにかくでっかいことをやって、立ち遅れている日本の産業にも力を注ごうとしたわけです。鮎川義介は「日産」という自動車会社を作ろうというより、むしろ自動車というより、もっと広い視野でもって日本の経済社会、産業、政治、外交を考えていたんです。
CL:その信念が日産のDNAとして日産のロゴにも表現され、現在も続いていることを「歴史と伝統と共に未来へ 至誠天日を貫く(233号)」で紹介しました。
清水:日産の生い立ちのようなものは広く知れ渡っていると思うので、こうした橋本増治郎、鮎川義介の世界観、スケールの大きさをぜひ読み取って頂きたいですね。
CL:この頃のクルマとして見てみると、1939年式「ニッサン81型バン」のレストアを199号で取り上げました。
清水:この81型バン自体が興味深いエピソードを数多く持つ車両ですが、記事では社内でレストアを行ない、実車を通して自分たち、日産のルーツを知る意味もありました。今、社内クラブで「再生クラブ」がありますが、彼らの活動の先駆けと言えるかもしれません。
CL:ダットサン17型(1938年式)に「現代の名工」として選出された加藤博義さんに試乗いただいたこともありました(219号)。
清水:あの企画は随分反響があったんじゃないですか。
CL:日産のDNAを走りから迫ろうという企画だったのですが、社内外含めて多くの方々から面白かったとおっしゃっていただきました。現役の開発ドライバーとして日産車をその体で知り尽くす加藤さんが、ダットサン17型に日産の走りのDNAを強く感じたとお話になられましたから。
清水:加藤さんは「質実剛健」が日産の走りのDNAと言えるのではないかとおっしゃっていましたね。クルマの評価と共に、加藤さんの思いを受け止めて日置編集長を始め、読者と共に感じることができたこの企画は「ニッサンクラブライフ」らしく、非常に興味深いものでした。
CL:この頃のクルマとして見てみると、1939年式「ニッサン81型バン」のレストアを199号で取り上げました。
清水:この81型バン自体が興味深いエピソードを数多く持つ車両ですが、記事では社内でレストアを行ない、実車を通して自分たち、日産のルーツを知る意味もありました。今、社内クラブで「再生クラブ」がありますが、彼らの活動の先駆けと言えるかもしれません。
CL:ダットサン17型(1938年式)に「現代の名工」として選出された加藤博義さんに試乗いただいたこともありました(219号)。
清水:あの企画は随分反響があったんじゃないですか。
CL:日産のDNAを走りから迫ろうという企画だったのですが、社内外含めて多くの方々から面白かったとおっしゃっていただきました。現役の開発ドライバーとして日産車をその体で知り尽くす加藤さんが、ダットサン17型に日産の走りのDNAを強く感じたとお話になられましたから。
清水:加藤さんは「質実剛健」が日産の走りのDNAと言えるのではないかとおっしゃっていましたね。クルマの評価と共に、加藤さんの思いを受け止めて日置編集長を始め、読者と共に感じることができたこの企画は「ニッサンクラブライフ」らしく、非常に興味深いものでした。
CL:この頃のクルマとして見てみると、1939年式「ニッサン81型バン」のレストアを199号で取り上げました。
清水:この81型バン自体が興味深いエピソードを数多く持つ車両ですが、記事では社内でレストアを行ない、実車を通して自分たち、日産のルーツを知る意味もありました。今、社内クラブで「再生クラブ」がありますが、彼らの活動の先駆けと言えるかもしれません。
CL:ダットサン17型(1938年式)に「現代の名工」として選出された加藤博義さんに試乗いただいたこともありました(219号)。
清水:あの企画は随分反響があったんじゃないですか。
CL:日産のDNAを走りから迫ろうという企画だったのですが、社内外含めて多くの方々から面白かったとおっしゃっていただきました。現役の開発ドライバーとして日産車をその体で知り尽くす加藤さんが、ダットサン17型に日産の走りのDNAを強く感じたとお話になられましたから。
清水:加藤さんは「質実剛健」が日産の走りのDNAと言えるのではないかとおっしゃっていましたね。クルマの評価と共に、加藤さんの思いを受け止めて日置編集長を始め、読者と共に感じることができたこの企画は「ニッサンクラブライフ」らしく、非常に興味深いものでした。
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上皇后美智子様がお嫁入りされるときにお道具を運んだという逸話が残る81型バン
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日産が誇る現代の名工、加藤博義氏によってダットサン17型の力強い走りが披露された
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