特集:NISMO40周年記念日産モータースポーツの役割と使命
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いつかは一軍へ、知識、技術、精神力を二軍で磨く
CL:ニスモ設立当初から長谷見さん、星野さんが加わられていらっしゃいますが、そのきっかけは何だったのでしょう。
長谷見昌弘氏(以下、「長谷見」と表記):オーディションがあったので応募して参加しました。そこでタイムがいい奴が大森分室と契約してもらえたんですよ。
CL:ニスモ設立当初から長谷見さん、星野さんが加わられていらっしゃいますが、そのきっかけは何だったのでしょう。
長谷見昌弘氏(以下、「長谷見」と表記):オーディションがあったので応募して参加しました。そこでタイムがいい奴が大森分室と契約してもらえたんですよ。
CL:ニスモ設立当初から長谷見さん、星野さんが加わられていらっしゃいますが、そのきっかけは何だったのでしょう。
長谷見昌弘氏(以下、「長谷見」と表記):オーディションがあったので応募して参加しました。そこでタイムがいい奴が大森分室と契約してもらえたんですよ。

長谷見昌弘さん。1945年11月13日生まれ。19歳で日産のオーディションに合格しレーシングドライバーとなる。1965年レースデビュー後、1980年の四冠王獲得、1989・1991・1992年のグループAチャンピオン、1992年のデイトナ24時間レース優勝等、数々のタイトルを獲得。あらゆるクルマを操る才能はまさに「天才ドライバー」
長谷見昌弘さん。1945年11月13日生まれ。19歳で日産のオーディションに合格しレーシングドライバーとなる。1965年レースデビュー後、1980年の四冠王獲得、1989・1991・1992年のグループAチャンピオン、1992年のデイトナ24時間レース優勝等、数々のタイトルを獲得。あらゆるクルマを操る才能はまさに「天才ドライバー」
長谷見昌弘さん。1945年11月13日生まれ。19歳で日産のオーディションに合格しレーシングドライバーとなる。1965年レースデビュー後、1980年の四冠王獲得、1989・1991・1992年のグループAチャンピオン、1992年のデイトナ24時間レース優勝等、数々のタイトルを獲得。あらゆるクルマを操る才能はまさに「天才ドライバー」

星野一義さん。1947年7月1日生まれ。19歳で全日本モトクロスチャンピオンに輝き二輪の世界で活躍するも、1969年に日産と契約後は四輪で活躍。全日本F2000選手権、富士GC、F2、F3000、グループC、グループA他、1992年デイトナ24時間での優勝、1998年ル・マン24時間での3位等国内外問わず活躍。言わずと知れた「日本一速い男」
星野一義さん。1947年7月1日生まれ。19歳で全日本モトクロスチャンピオンに輝き二輪の世界で活躍するも、1969年に日産と契約後は四輪で活躍。全日本F2000選手権、富士GC、F2、F3000、グループC、グループA他、1992年デイトナ24時間での優勝、1998年ル・マン24時間での3位等国内外問わず活躍。言わずと知れた「日本一速い男」
星野一義さん。1947年7月1日生まれ。19歳で全日本モトクロスチャンピオンに輝き二輪の世界で活躍するも、1969年に日産と契約後は四輪で活躍。全日本F2000選手権、富士GC、F2、F3000、グループC、グループA他、1992年デイトナ24時間での優勝、1998年ル・マン24時間での3位等国内外問わず活躍。言わずと知れた「日本一速い男」
星野一義氏(以下、「星野」と表記):オーディションの日、僕は浜松オート(レース場)に行く予定だったんだけど、日産に行っちゃった。そもそも両親は僕に「大学に行け。レースなんて、そんなやくざな世界なんか」って反対されていてね。僕は「賭け事じゃないし、自動車メーカーの開発を目的としたレースだから」って言っていたけど、それでも駄目だと言われたよ。でもさ、両親が反対だから辞めるということじゃなくって、俺の人生は俺が決めるという勢いで、結局ここまで来ちゃったわけ。
星野一義氏(以下、「星野」と表記):オーディションの日、僕は浜松オート(レース場)に行く予定だったんだけど、日産に行っちゃった。そもそも両親は僕に「大学に行け。レースなんて、そんなやくざな世界なんか」って反対されていてね。僕は「賭け事じゃないし、自動車メーカーの開発を目的としたレースだから」って言っていたけど、それでも駄目だと言われたよ。でもさ、両親が反対だから辞めるということじゃなくって、俺の人生は俺が決めるという勢いで、結局ここまで来ちゃったわけ。
星野一義氏(以下、「星野」と表記):オーディションの日、僕は浜松オート(レース場)に行く予定だったんだけど、日産に行っちゃった。そもそも両親は僕に「大学に行け。レースなんて、そんなやくざな世界なんか」って反対されていてね。僕は「賭け事じゃないし、自動車メーカーの開発を目的としたレースだから」って言っていたけど、それでも駄目だと言われたよ。でもさ、両親が反対だから辞めるということじゃなくって、俺の人生は俺が決めるという勢いで、結局ここまで来ちゃったわけ。
CL:ご両親の反対を押し切って日産のドライバーとなられたのですね。
星野:オートバイの世界から入ってきた僕に、日産は本当にたくさん走らせてくれたよ。僕がフォーミュラに乗りたいと、一度、日産を辞めようとした時もあったけれど僕を辞めさせず、結局、日産とホンダ両方のクルマに乗せてもらうことができたんだよね。
CL:普通では考えられないですよね。
星野:難波さんがニスモを作られて、ル・マンの予算を取って来たんだよ。難波さんは実験部の部長で、「大森分室を俺が作り変えるから、星野さんは一期生で入れ」って言ってくれて、とんでもなくいい金額で誘ってくれてさ。それで二つ返事で受けちゃった。それ以来、難波さんには無茶苦茶お世話になって、本当に感謝しています。日産には感謝、感謝だよね。
CL:他メーカーなどからお誘いの話はなかったのですか。日産も星野さんを離しはしないと思いますが。
星野:実際、他の自動車メーカーやタイヤメーカーに結構いい条件のお話は頂いていましたよ。でも、僕はお金では動きません。これまで僕は義理人情で来たから、今もこれからもやっぱり義理人情を大事にしていきたいんだよね。日産には今も助けてもらっているけれど、僕もできる限り日産の力になっていきたいと思っているからね。
CL:そんな日産、ニスモチームはどんなチームなのですか。
星野:日産はいつでもトップでなきゃいけないのよ。野球でいえばジャイアンツのようなチーム。とにかくトップであること、僕はそれしか狙ってない。長谷見さんは「星野、まあまあだな」なんて言ってちっとも褒めてくれないんだけどさ。
CL:ご両親の反対を押し切って日産のドライバーとなられたのですね。
星野:オートバイの世界から入ってきた僕に、日産は本当にたくさん走らせてくれたよ。僕がフォーミュラに乗りたいと、一度、日産を辞めようとした時もあったけれど僕を辞めさせず、結局、日産とホンダ両方のクルマに乗せてもらうことができたんだよね。
CL:普通では考えられないですよね。
星野:難波さんがニスモを作られて、ル・マンの予算を取って来たんだよ。難波さんは実験部の部長で、「大森分室を俺が作り変えるから、星野さんは一期生で入れ」って言ってくれて、とんでもなくいい金額で誘ってくれてさ。それで二つ返事で受けちゃった。それ以来、難波さんには無茶苦茶お世話になって、本当に感謝しています。日産には感謝、感謝だよね。
CL:他メーカーなどからお誘いの話はなかったのですか。日産も星野さんを離しはしないと思いますが。
星野:実際、他の自動車メーカーやタイヤメーカーに結構いい条件のお話は頂いていましたよ。でも、僕はお金では動きません。これまで僕は義理人情で来たから、今もこれからもやっぱり義理人情を大事にしていきたいんだよね。日産には今も助けてもらっているけれど、僕もできる限り日産の力になっていきたいと思っているからね。
CL:そんな日産、ニスモチームはどんなチームなのですか。
星野:日産はいつでもトップでなきゃいけないのよ。野球でいえばジャイアンツのようなチーム。とにかくトップであること、僕はそれしか狙ってない。長谷見さんは「星野、まあまあだな」なんて言ってちっとも褒めてくれないんだけどさ。
CL:ご両親の反対を押し切って日産のドライバーとなられたのですね。
星野:オートバイの世界から入ってきた僕に、日産は本当にたくさん走らせてくれたよ。僕がフォーミュラに乗りたいと、一度、日産を辞めようとした時もあったけれど僕を辞めさせず、結局、日産とホンダ両方のクルマに乗せてもらうことができたんだよね。
CL:普通では考えられないですよね。
星野:難波さんがニスモを作られて、ル・マンの予算を取って来たんだよ。難波さんは実験部の部長で、「大森分室を俺が作り変えるから、星野さんは一期生で入れ」って言ってくれて、とんでもなくいい金額で誘ってくれてさ。それで二つ返事で受けちゃった。それ以来、難波さんには無茶苦茶お世話になって、本当に感謝しています。日産には感謝、感謝だよね。
CL:他メーカーなどからお誘いの話はなかったのですか。日産も星野さんを離しはしないと思いますが。
星野:実際、他の自動車メーカーやタイヤメーカーに結構いい条件のお話は頂いていましたよ。でも、僕はお金では動きません。これまで僕は義理人情で来たから、今もこれからもやっぱり義理人情を大事にしていきたいんだよね。日産には今も助けてもらっているけれど、僕もできる限り日産の力になっていきたいと思っているからね。
CL:そんな日産、ニスモチームはどんなチームなのですか。
星野:日産はいつでもトップでなきゃいけないのよ。野球でいえばジャイアンツのようなチーム。とにかくトップであること、僕はそれしか狙ってない。長谷見さんは「星野、まあまあだな」なんて言ってちっとも褒めてくれないんだけどさ。

高星明誠さん。1993年1月24日生まれ。ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)出身。2013年に、全日本F3選手権のF3-Nクラスでシリーズタイトルを獲得後、2015年からGTを主として活躍。2024年は#3 Niterra MOTUL Zで参戦。柿元邦彦さんは大学時代の恩師にあたる
高星明誠さん。1993年1月24日生まれ。ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)出身。2013年に、全日本F3選手権のF3-Nクラスでシリーズタイトルを獲得後、2015年からGTを主として活躍。2024年は#3 Niterra MOTUL Zで参戦。柿元邦彦さんは大学時代の恩師にあたる
高星明誠さん。1993年1月24日生まれ。ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)出身。2013年に、全日本F3選手権のF3-Nクラスでシリーズタイトルを獲得後、2015年からGTを主として活躍。2024年は#3 Niterra MOTUL Zで参戦。柿元邦彦さんは大学時代の恩師にあたる
柿元:お二人は現場でご一緒すると……大変でした。でも、二人が切磋琢磨していたことで、チームもどんどんと力をつけていったと思います。ホンダが敵なのに、予選では星野さんが「長谷見さん、何秒出た?」とか、長谷見さんは「星野どうだった?」とか。お互いをライバル視していたようです。
星野:当時は目を合わせないから。今は仲良し会みたいになっているでしょ。ね、高星。
高星明誠選手(以下、「高星」と表記):え!? 僕ですか。
柿元:お二人は現場でご一緒すると……大変でした。でも、二人が切磋琢磨していたことで、チームもどんどんと力をつけていったと思います。ホンダが敵なのに、予選では星野さんが「長谷見さん、何秒出た?」とか、長谷見さんは「星野どうだった?」とか。お互いをライバル視していたようです。
星野:当時は目を合わせないから。今は仲良し会みたいになっているでしょ。ね、高星。
高星明誠選手(以下、「高星」と表記):え!? 僕ですか。
柿元:お二人は現場でご一緒すると……大変でした。でも、二人が切磋琢磨していたことで、チームもどんどんと力をつけていったと思います。ホンダが敵なのに、予選では星野さんが「長谷見さん、何秒出た?」とか、長谷見さんは「星野どうだった?」とか。お互いをライバル視していたようです。
星野:当時は目を合わせないから。今は仲良し会みたいになっているでしょ。ね、高星。
高星明誠選手(以下、「高星」と表記):え!? 僕ですか。
星野:今はみんな優等生なんだよ。僕らはさ、タイムが出なかったらそこらにあったタイヤなんかを「こんにゃろ!」って蹴飛ばしたりしていて、ピリピリしていたよ。とにかく「何が何でもタイムを出す!」っていう気合が入っていたからね。今は「セットアップがどうのこうの」とか、「データ見せてくれ」とか言うじゃない。データはあくまで参考だと思うんだよ。シミュレーターでバネレートを上げればいいって上げるじゃない。でも、現場に行ったらアンダーが出ちゃって全然ダメ。結局、人間の感覚、集中して自分で決めて行くっていうことが大切だと思うんだよね。そうしたドライバーのフィーリングを大切にしていきたいし、そうしたチームでいて欲しいよね。
星野:今はみんな優等生なんだよ。僕らはさ、タイムが出なかったらそこらにあったタイヤなんかを「こんにゃろ!」って蹴飛ばしたりしていて、ピリピリしていたよ。とにかく「何が何でもタイムを出す!」っていう気合が入っていたからね。今は「セットアップがどうのこうの」とか、「データ見せてくれ」とか言うじゃない。データはあくまで参考だと思うんだよ。シミュレーターでバネレートを上げればいいって上げるじゃない。でも、現場に行ったらアンダーが出ちゃって全然ダメ。結局、人間の感覚、集中して自分で決めて行くっていうことが大切だと思うんだよね。そうしたドライバーのフィーリングを大切にしていきたいし、そうしたチームでいて欲しいよね。
星野:今はみんな優等生なんだよ。僕らはさ、タイムが出なかったらそこらにあったタイヤなんかを「こんにゃろ!」って蹴飛ばしたりしていて、ピリピリしていたよ。とにかく「何が何でもタイムを出す!」っていう気合が入っていたからね。今は「セットアップがどうのこうの」とか、「データ見せてくれ」とか言うじゃない。データはあくまで参考だと思うんだよ。シミュレーターでバネレートを上げればいいって上げるじゃない。でも、現場に行ったらアンダーが出ちゃって全然ダメ。結局、人間の感覚、集中して自分で決めて行くっていうことが大切だと思うんだよね。そうしたドライバーのフィーリングを大切にしていきたいし、そうしたチームでいて欲しいよね。

「仲良し会」じゃないと言いつつも、厚い信頼関係と深い絆で結ばれた様子が見られるお二方
「仲良し会」じゃないと言いつつも、厚い信頼関係と深い絆で結ばれた様子が見られるお二方
「仲良し会」じゃないと言いつつも、厚い信頼関係と深い絆で結ばれた様子が見られるお二方
日置:データとドライバーのフィーリングのどちらも大事ですね。
星野:そう。だから高星もそういうことで行こうよ。タイヤメーカーさんの仕事なんかでも、わからないところはわからないと正直に言えばいいんだよ。
高星:僕は乗る前にデータの数値を自主的に聞かないようにしています。タイヤについて言えば、僕自身、タイヤの知識やテストの数では誰にも負けないという自信があるので、自分の感覚を信じているし、データを知ることで頭でっかちな状態でクルマに乗らないようにしています。
星野:データは整理する人にセンスがあるかっていうこともあるよね。
日置:データとドライバーのフィーリングのどちらも大事ですね。
星野:そう。だから高星もそういうことで行こうよ。タイヤメーカーさんの仕事なんかでも、わからないところはわからないと正直に言えばいいんだよ。
高星:僕は乗る前にデータの数値を自主的に聞かないようにしています。タイヤについて言えば、僕自身、タイヤの知識やテストの数では誰にも負けないという自信があるので、自分の感覚を信じているし、データを知ることで頭でっかちな状態でクルマに乗らないようにしています。
星野:データは整理する人にセンスがあるかっていうこともあるよね。
日置:データとドライバーのフィーリングのどちらも大事ですね。
星野:そう。だから高星もそういうことで行こうよ。タイヤメーカーさんの仕事なんかでも、わからないところはわからないと正直に言えばいいんだよ。
高星:僕は乗る前にデータの数値を自主的に聞かないようにしています。タイヤについて言えば、僕自身、タイヤの知識やテストの数では誰にも負けないという自信があるので、自分の感覚を信じているし、データを知ることで頭でっかちな状態でクルマに乗らないようにしています。
星野:データは整理する人にセンスがあるかっていうこともあるよね。

星野一義さんのツッコミに口ごもる(!?)高星明誠さん
星野一義さんのツッコミに口ごもる(!?)高星明誠さん
星野一義さんのツッコミに口ごもる(!?)高星明誠さん
高星:データが重要であることはドライバーも分かっていて、やはり両方共に大切だと思います。ただ、データを扱うエンジニアには高いレベルが求められるということかなと思います。
柿元:そうだね。
CL:そうしたフィーリングを培ったり、経験を積むという意味でも、大森は当時「二軍」として重要だったのではないでしょうか。
長谷見:当時は追浜部隊を「一軍」、大森は「二軍」と呼んでいたけれど、僕が二軍にいたときは「早く一軍に上がりたい、いつかは一軍へ」と思ってがんばっていたよ。だって追浜のレーシングカーはレベルが違うんだよね。とにかく速い。もう二軍の僕らとは全然違うんだもん。
高星:データが重要であることはドライバーも分かっていて、やはり両方共に大切だと思います。ただ、データを扱うエンジニアには高いレベルが求められるということかなと思います。
柿元:そうだね。
CL:そうしたフィーリングを培ったり、経験を積むという意味でも、大森は当時「二軍」として重要だったのではないでしょうか。
長谷見:当時は追浜部隊を「一軍」、大森は「二軍」と呼んでいたけれど、僕が二軍にいたときは「早く一軍に上がりたい、いつかは一軍へ」と思ってがんばっていたよ。だって追浜のレーシングカーはレベルが違うんだよね。とにかく速い。もう二軍の僕らとは全然違うんだもん。
高星:データが重要であることはドライバーも分かっていて、やはり両方共に大切だと思います。ただ、データを扱うエンジニアには高いレベルが求められるということかなと思います。
柿元:そうだね。
CL:そうしたフィーリングを培ったり、経験を積むという意味でも、大森は当時「二軍」として重要だったのではないでしょうか。
長谷見:当時は追浜部隊を「一軍」、大森は「二軍」と呼んでいたけれど、僕が二軍にいたときは「早く一軍に上がりたい、いつかは一軍へ」と思ってがんばっていたよ。だって追浜のレーシングカーはレベルが違うんだよね。とにかく速い。もう二軍の僕らとは全然違うんだもん。

先輩である砂子義一さん、北野元さんの後輩となる関係性は、現役引退後も変わらないそう(星野さん談)
先輩である砂子義一さん、北野元さんの後輩となる関係性は、現役引退後も変わらないそう(星野さん談)
先輩である砂子義一さん、北野元さんの後輩となる関係性は、現役引退後も変わらないそう(星野さん談)
高星:一軍と二軍ってそんなに大きな差があったんですか。
長谷見&星野:あった!
長谷見:そもそも大森では、僕らが自分でクルマを作るんだから。
高星:えっ!?
長谷見:エンジンからデフから、とにかく何から何まで自分たちで作るんだよ。
高星:一軍と二軍ってそんなに大きな差があったんですか。
長谷見&星野:あった!
長谷見:そもそも大森では、僕らが自分でクルマを作るんだから。
高星:えっ!?
長谷見:エンジンからデフから、とにかく何から何まで自分たちで作るんだよ。
高星:一軍と二軍ってそんなに大きな差があったんですか。
長谷見&星野:あった!
長谷見:そもそも大森では、僕らが自分でクルマを作るんだから。
高星:えっ!?
長谷見:エンジンからデフから、とにかく何から何まで自分たちで作るんだよ。
柿元:高星は星野一樹や柳田真孝が大森で倉庫番をしていたこと知ってる?彼らの時代はもうニスモになっていたけれど、それでも倉庫番をしながら細かな部分に至るまでクルマのことを大森にいるエンジニアやメカから学んで、色んな部品にも直接触れて、他にも大勢いるスタッフの人たちとのやりとりの中で色んな経験を積んでいたんだと思うよ。
CL:言い方は変ですが、「レーシングドライバー」という感じではなく、お二方とも本当に普通に働いていらしたと聞いています。
柿元:高星は星野一樹や柳田真孝が大森で倉庫番をしていたこと知ってる?彼らの時代はもうニスモになっていたけれど、それでも倉庫番をしながら細かな部分に至るまでクルマのことを大森にいるエンジニアやメカから学んで、色んな部品にも直接触れて、他にも大勢いるスタッフの人たちとのやりとりの中で色んな経験を積んでいたんだと思うよ。
CL:言い方は変ですが、「レーシングドライバー」という感じではなく、お二方とも本当に普通に働いていらしたと聞いています。
柿元:高星は星野一樹や柳田真孝が大森で倉庫番をしていたこと知ってる?彼らの時代はもうニスモになっていたけれど、それでも倉庫番をしながら細かな部分に至るまでクルマのことを大森にいるエンジニアやメカから学んで、色んな部品にも直接触れて、他にも大勢いるスタッフの人たちとのやりとりの中で色んな経験を積んでいたんだと思うよ。
CL:言い方は変ですが、「レーシングドライバー」という感じではなく、お二方とも本当に普通に働いていらしたと聞いています。

共に「GT-R」でレース界を盛り上げた星野一義さんと星野一樹さん
共に「GT-R」でレース界を盛り上げた星野一義さんと星野一樹さん
共に「GT-R」でレース界を盛り上げた星野一義さんと星野一樹さん

「Zの柳田」こと柳田春人さんと「二代目Zの柳田」として活躍した柳田真孝さん親子
「Zの柳田」こと柳田春人さんと「二代目Zの柳田」として活躍した柳田真孝さん親子
「Zの柳田」こと柳田春人さんと「二代目Zの柳田」として活躍した柳田真孝さん親子
柿元:社内的なことでいえば、追浜の人は人事部長との契約で、大森は宣伝三課でしたから、そういう形でも明らかな違いがありました。だけど、大森では「絶対にワークスに行きたい」と強く思っている意欲のある人は上がっていきました。このお二人もそうだけれど、そういう例が多かったですね。
長谷見:大森から上がった人はクルマを100%知っていたよ。だって自分たちで何でもやっていたんだから。追浜のドライバーは全てにおいて日産の専門家のエンジニアやメカがいるからね。でも、大森にいたドライバーの方が僕たちのように長生きしているように思うね。
柿元:技術だけじゃなくて、メンタルの部分でも大森から上がった人は違ったと思います。
柿元:社内的なことでいえば、追浜の人は人事部長との契約で、大森は宣伝三課でしたから、そういう形でも明らかな違いがありました。だけど、大森では「絶対にワークスに行きたい」と強く思っている意欲のある人は上がっていきました。このお二人もそうだけれど、そういう例が多かったですね。
長谷見:大森から上がった人はクルマを100%知っていたよ。だって自分たちで何でもやっていたんだから。追浜のドライバーは全てにおいて日産の専門家のエンジニアやメカがいるからね。でも、大森にいたドライバーの方が僕たちのように長生きしているように思うね。
柿元:技術だけじゃなくて、メンタルの部分でも大森から上がった人は違ったと思います。
柿元:社内的なことでいえば、追浜の人は人事部長との契約で、大森は宣伝三課でしたから、そういう形でも明らかな違いがありました。だけど、大森では「絶対にワークスに行きたい」と強く思っている意欲のある人は上がっていきました。このお二人もそうだけれど、そういう例が多かったですね。
長谷見:大森から上がった人はクルマを100%知っていたよ。だって自分たちで何でもやっていたんだから。追浜のドライバーは全てにおいて日産の専門家のエンジニアやメカがいるからね。でも、大森にいたドライバーの方が僕たちのように長生きしているように思うね。
柿元:技術だけじゃなくて、メンタルの部分でも大森から上がった人は違ったと思います。