特集:NISMO40周年記念日産モータースポーツの役割と使命
特集:NISMO40周年記念日産モータースポーツの役割と使命
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お客さんがゾクゾクするレース、ドライバーもゾクゾクするクルマ
CL:国内レースといえば、まずはスーパーシルエットでしょうか。とにかく今振り返っても強烈ですよね。長谷見さんのDR30型「トミカ・スカイライン」と星野さんのS110型「ニチラ・シルビア」はインパクトがありました。
長谷見:シルビアとスカイラインは製作も全く違うからね。タイヤも違うし、すべて違うよね。僕はクルマを作るのが好きだったからね。
星野:長谷見さんのところは長谷見レーシングでクルマを作っていたけど、僕のクルマはフロントカウルが重くてフロントヘビーで、タイヤは2周で終わりよ。僕は行って乗るだけだから、早く終われって感じでさ。
CL:国内レースといえば、まずはスーパーシルエットでしょうか。とにかく今振り返っても強烈ですよね。長谷見さんのDR30型「トミカ・スカイライン」と星野さんのS110型「ニチラ・シルビア」はインパクトがありました。
長谷見:シルビアとスカイラインは製作も全く違うからね。タイヤも違うし、すべて違うよね。僕はクルマを作るのが好きだったからね。
星野:長谷見さんのところは長谷見レーシングでクルマを作っていたけど、僕のクルマはフロントカウルが重くてフロントヘビーで、タイヤは2周で終わりよ。僕は行って乗るだけだから、早く終われって感じでさ。
CL:国内レースといえば、まずはスーパーシルエットでしょうか。とにかく今振り返っても強烈ですよね。長谷見さんのDR30型「トミカ・スカイライン」と星野さんのS110型「ニチラ・シルビア」はインパクトがありました。
長谷見:シルビアとスカイラインは製作も全く違うからね。タイヤも違うし、すべて違うよね。僕はクルマを作るのが好きだったからね。
星野:長谷見さんのところは長谷見レーシングでクルマを作っていたけど、僕のクルマはフロントカウルが重くてフロントヘビーで、タイヤは2周で終わりよ。僕は行って乗るだけだから、早く終われって感じでさ。

長谷見昌弘さんが操るトミカ・スカイライン
長谷見昌弘さんが操るトミカ・スカイライン
長谷見昌弘さんが操るトミカ・スカイライン

星野一義さんのドライブによるニチラ・シルビア
星野一義さんのドライブによるニチラ・シルビア
星野一義さんのドライブによるニチラ・シルビア
CL:加速だけならF1よりも速いと言われていましたが、あの車で570馬力っていうのはどんな感じなんですか。
長谷見:当時のタイヤはヘアピン立ち上がってパワーがかかるとグリップが悪いのでホイルスピンしてオーバーステア。でも、それをお客さんが喜ぶんですよ。富士スピードウェイの1コーナーの土手のところで、大勢のお客さんがマフラーから火が出るからカメラを抱えて待っているんだよね。僕らから見ると左側になるんだけど、沢山のお客さんが喜んでくれていたね。
星野:火が出るクルマってあれだけだよね。
柿元:エンジニアとしては、炎が出ることって恥ずかしいことだから本当は止めようと思うのですが、お客さんが喜んでくれるから。ルーカスのメカニカルインジェクションを使っていましたが、そのままにしていました。あの炎は有名でしたし、むしろ、もっと恰好良く炎を出せないかなんて思っていました。
日置:炎はスーパーシルエットの名物でした。
CL:加速だけならF1よりも速いと言われていましたが、あの車で570馬力っていうのはどんな感じなんですか。
長谷見:当時のタイヤはヘアピン立ち上がってパワーがかかるとグリップが悪いのでホイルスピンしてオーバーステア。でも、それをお客さんが喜ぶんですよ。富士スピードウェイの1コーナーの土手のところで、大勢のお客さんがマフラーから火が出るからカメラを抱えて待っているんだよね。僕らから見ると左側になるんだけど、沢山のお客さんが喜んでくれていたね。
星野:火が出るクルマってあれだけだよね。
柿元:エンジニアとしては、炎が出ることって恥ずかしいことだから本当は止めようと思うのですが、お客さんが喜んでくれるから。ルーカスのメカニカルインジェクションを使っていましたが、そのままにしていました。あの炎は有名でしたし、むしろ、もっと恰好良く炎を出せないかなんて思っていました。
日置:炎はスーパーシルエットの名物でした。
CL:加速だけならF1よりも速いと言われていましたが、あの車で570馬力っていうのはどんな感じなんですか。
長谷見:当時のタイヤはヘアピン立ち上がってパワーがかかるとグリップが悪いのでホイルスピンしてオーバーステア。でも、それをお客さんが喜ぶんですよ。富士スピードウェイの1コーナーの土手のところで、大勢のお客さんがマフラーから火が出るからカメラを抱えて待っているんだよね。僕らから見ると左側になるんだけど、沢山のお客さんが喜んでくれていたね。
星野:火が出るクルマってあれだけだよね。
柿元:エンジニアとしては、炎が出ることって恥ずかしいことだから本当は止めようと思うのですが、お客さんが喜んでくれるから。ルーカスのメカニカルインジェクションを使っていましたが、そのままにしていました。あの炎は有名でしたし、むしろ、もっと恰好良く炎を出せないかなんて思っていました。
日置:炎はスーパーシルエットの名物でした。

グループCの名物となった炎
グループCの名物となった炎
グループCの名物となった炎
柿元:日産ヘリテージコレクションにハンガリーのモータージャーナリストが来た時に、「あのレースのせいで富士の周辺が渋滞したんだってね」ってスーパーシルエットのことを話されるほど詳しくご存知で驚きました。その話の中で、インパルのホイールが売れたという話も出ましたよ。
星野:あれは儲かったね。月に2万本だもん。ビジネスであんなに儲かったことはないよ。
柿元:今のインパルはニスモなしでは存在していなかったのでは?
星野:いや、本当にそう。
柿元:日産ヘリテージコレクションにハンガリーのモータージャーナリストが来た時に、「あのレースのせいで富士の周辺が渋滞したんだってね」ってスーパーシルエットのことを話されるほど詳しくご存知で驚きました。その話の中で、インパルのホイールが売れたという話も出ましたよ。
星野:あれは儲かったね。月に2万本だもん。ビジネスであんなに儲かったことはないよ。
柿元:今のインパルはニスモなしでは存在していなかったのでは?
星野:いや、本当にそう。
柿元:日産ヘリテージコレクションにハンガリーのモータージャーナリストが来た時に、「あのレースのせいで富士の周辺が渋滞したんだってね」ってスーパーシルエットのことを話されるほど詳しくご存知で驚きました。その話の中で、インパルのホイールが売れたという話も出ましたよ。
星野:あれは儲かったね。月に2万本だもん。ビジネスであんなに儲かったことはないよ。
柿元:今のインパルはニスモなしでは存在していなかったのでは?
星野:いや、本当にそう。

2万本/月で売れたというホイールを履く
2万本/月で売れたというホイールを履く
2万本/月で売れたというホイールを履く
CL:グループAはいかがですか。お二方のご活躍、またスカイラインGT-Rの強さはクラブライフ読者のみなさまはよくよくご存知かと思うのですが。ただ、その強さ故、結果的にGT-Rのワンメイクとなってしまったという功罪もあったと思います。
長谷見:まずGT-Rは買えるクルマでしたから、あちこちのレース場に行きますけれども、どこへ行っても全国すべてのGT-Rが1台残らず集まったのではないかと思う程、駐車場には沢山のGT-Rがありました。GT-Rを持っている人たちにとってみたら、こんなに嬉しいことはなかったと思うね。
星野:凄かったよね。でも、当時はGT-Rは人気があり過ぎて買えなかったじゃない。全然連絡がなかった同級生15,16人から「お金は揃えているから、日産にお願いしてもらえないか」って電話があったよ。あんなクルマをまた日産、出してくれないかなぁ。
長谷見:みんな欲しがっていたもんね。
CL:グループAはいかがですか。お二方のご活躍、またスカイラインGT-Rの強さはクラブライフ読者のみなさまはよくよくご存知かと思うのですが。ただ、その強さ故、結果的にGT-Rのワンメイクとなってしまったという功罪もあったと思います。
長谷見:まずGT-Rは買えるクルマでしたから、あちこちのレース場に行きますけれども、どこへ行っても全国すべてのGT-Rが1台残らず集まったのではないかと思う程、駐車場には沢山のGT-Rがありました。GT-Rを持っている人たちにとってみたら、こんなに嬉しいことはなかったと思うね。
星野:凄かったよね。でも、当時はGT-Rは人気があり過ぎて買えなかったじゃない。全然連絡がなかった同級生15,16人から「お金は揃えているから、日産にお願いしてもらえないか」って電話があったよ。あんなクルマをまた日産、出してくれないかなぁ。
長谷見:みんな欲しがっていたもんね。
CL:グループAはいかがですか。お二方のご活躍、またスカイラインGT-Rの強さはクラブライフ読者のみなさまはよくよくご存知かと思うのですが。ただ、その強さ故、結果的にGT-Rのワンメイクとなってしまったという功罪もあったと思います。
長谷見:まずGT-Rは買えるクルマでしたから、あちこちのレース場に行きますけれども、どこへ行っても全国すべてのGT-Rが1台残らず集まったのではないかと思う程、駐車場には沢山のGT-Rがありました。GT-Rを持っている人たちにとってみたら、こんなに嬉しいことはなかったと思うね。
星野:凄かったよね。でも、当時はGT-Rは人気があり過ぎて買えなかったじゃない。全然連絡がなかった同級生15,16人から「お金は揃えているから、日産にお願いしてもらえないか」って電話があったよ。あんなクルマをまた日産、出してくれないかなぁ。
長谷見:みんな欲しがっていたもんね。

1989年チャンピオンの長谷見昌弘さんと1990年にチャンピオン獲得す星野一義さんの熱い戦い
1989年チャンピオンの長谷見昌弘さんと1990年にチャンピオン獲得す星野一義さんの熱い戦い
1989年チャンピオンの長谷見昌弘さんと1990年にチャンピオン獲得す星野一義さんの熱い戦い

1990年グループAでチャンピオンを獲得した星野一義/鈴木利男組のカルソニック・スカイラインGT-R
1990年グループAでチャンピオンを獲得した星野一義/鈴木利男組のカルソニック・スカイラインGT-R
1990年グループAでチャンピオンを獲得した星野一義/鈴木利男組のカルソニック・スカイラインGT-R
星野:最初は四駆なんかラリー車じゃあるまいしって鼻で笑っていたんだ。日産のみんなはクルマのこと分かってんのかってね。でも、初めて乗ってみた時にはそれはそれは素晴らしくてビックリ!いやー、技術屋さんって凄いなーって思ったよ。クリッピングポイントはそのまま加速するし、パワースライドもないんだよ。他のメーカーのクルマに乗っていたレーシングドライバーたちが「日産はいいな。こんなクルマを市販してくれるなんて」と言って、みんな指をくわえて羨ましがってくれていたよ。
長谷見:今のGTも凄いけど、あの頃のGT-Rの実力と人気、お客さんの熱量は凄かったよね。
星野:いやー、凄い。GT-Rはさ、コースの外でもジャンプしても走ってたんだもん。今のGTはまるでレールの上を走っているような感じでしょ。見ている方は踏み過ぎたらコントロールを失うような、そんなクルマじゃないとお客さんはつまらないよ。あの頃の音も、クルマの動きも今は無いし。
柿元:ドライバーの腕が見えるのがいいよね。今はレールの上を走るように走行するのが一番速い。でも、それではつまらない。もっと横を向いたり、ブレーキでクルマが暴れたり、そんなのも見たい。
星野:最初は四駆なんかラリー車じゃあるまいしって鼻で笑っていたんだ。日産のみんなはクルマのこと分かってんのかってね。でも、初めて乗ってみた時にはそれはそれは素晴らしくてビックリ!いやー、技術屋さんって凄いなーって思ったよ。クリッピングポイントはそのまま加速するし、パワースライドもないんだよ。他のメーカーのクルマに乗っていたレーシングドライバーたちが「日産はいいな。こんなクルマを市販してくれるなんて」と言って、みんな指をくわえて羨ましがってくれていたよ。
長谷見:今のGTも凄いけど、あの頃のGT-Rの実力と人気、お客さんの熱量は凄かったよね。
星野:いやー、凄い。GT-Rはさ、コースの外でもジャンプしても走ってたんだもん。今のGTはまるでレールの上を走っているような感じでしょ。見ている方は踏み過ぎたらコントロールを失うような、そんなクルマじゃないとお客さんはつまらないよ。あの頃の音も、クルマの動きも今は無いし。
柿元:ドライバーの腕が見えるのがいいよね。今はレールの上を走るように走行するのが一番速い。でも、それではつまらない。もっと横を向いたり、ブレーキでクルマが暴れたり、そんなのも見たい。
星野:最初は四駆なんかラリー車じゃあるまいしって鼻で笑っていたんだ。日産のみんなはクルマのこと分かってんのかってね。でも、初めて乗ってみた時にはそれはそれは素晴らしくてビックリ!いやー、技術屋さんって凄いなーって思ったよ。クリッピングポイントはそのまま加速するし、パワースライドもないんだよ。他のメーカーのクルマに乗っていたレーシングドライバーたちが「日産はいいな。こんなクルマを市販してくれるなんて」と言って、みんな指をくわえて羨ましがってくれていたよ。
長谷見:今のGTも凄いけど、あの頃のGT-Rの実力と人気、お客さんの熱量は凄かったよね。
星野:いやー、凄い。GT-Rはさ、コースの外でもジャンプしても走ってたんだもん。今のGTはまるでレールの上を走っているような感じでしょ。見ている方は踏み過ぎたらコントロールを失うような、そんなクルマじゃないとお客さんはつまらないよ。あの頃の音も、クルマの動きも今は無いし。
柿元:ドライバーの腕が見えるのがいいよね。今はレールの上を走るように走行するのが一番速い。でも、それではつまらない。もっと横を向いたり、ブレーキでクルマが暴れたり、そんなのも見たい。

1991年グループAでチャンピオンを獲得した長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組のリーボック・スカイラインGT-R
1991年グループAでチャンピオンを獲得した長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組のリーボック・スカイラインGT-R
1991年グループAでチャンピオンを獲得した長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組のリーボック・スカイラインGT-R

福山英朗さんと組んだJECSスカイラインGT-Rで長谷見昌弘さんは1992年、グループA連覇を果たした
福山英朗さんと組んだJECSスカイラインGT-Rで長谷見昌弘さんは1992年、グループA連覇を果たした
福山英朗さんと組んだJECSスカイラインGT-Rで長谷見昌弘さんは1992年、グループA連覇を果たした
星野:鈴鹿でSR311(フェアレディ)で走ったんだけどさ、第3コーナーなんて全部カウンター切って走ってるんだから。すげーなって。今のGTはハンドル通りだからさ。
星野:鈴鹿でSR311(フェアレディ)で走ったんだけどさ、第3コーナーなんて全部カウンター切って走ってるんだから。すげーなって。今のGTはハンドル通りだからさ。
星野:鈴鹿でSR311(フェアレディ)で走ったんだけどさ、第3コーナーなんて全部カウンター切って走ってるんだから。すげーなって。今のGTはハンドル通りだからさ。

1967年ロスマン12時間レースで走行するSR311型
1967年ロスマン12時間レースで走行するSR311型
1967年ロスマン12時間レースで走行するSR311型
柿元:破綻させない走り方が今は一番速いですからね。
長谷見:やっぱり観ていてお客さんがゾクゾクするレース、そしてドライバーもゾクゾクするクルマがいいね。
星野:今は70~80%がチーム力とクルマ側で、ドライバーの上手い、下手っていうか、勝利に占める割合が減って来た。
柿元:そうですね。タイヤ、クルマ、エンジン、空力……。ドライバーの技量が勝敗に占める割合は少なくなってきました。R32型GT-RはグループAに勝つために作られたクルマだったけれど、1990年から参戦して1993年までは無敗でした。
柿元:破綻させない走り方が今は一番速いですからね。
長谷見:やっぱり観ていてお客さんがゾクゾクするレース、そしてドライバーもゾクゾクするクルマがいいね。
星野:今は70~80%がチーム力とクルマ側で、ドライバーの上手い、下手っていうか、勝利に占める割合が減って来た。
柿元:そうですね。タイヤ、クルマ、エンジン、空力……。ドライバーの技量が勝敗に占める割合は少なくなってきました。R32型GT-RはグループAに勝つために作られたクルマだったけれど、1990年から参戦して1993年までは無敗でした。
柿元:破綻させない走り方が今は一番速いですからね。
長谷見:やっぱり観ていてお客さんがゾクゾクするレース、そしてドライバーもゾクゾクするクルマがいいね。
星野:今は70~80%がチーム力とクルマ側で、ドライバーの上手い、下手っていうか、勝利に占める割合が減って来た。
柿元:そうですね。タイヤ、クルマ、エンジン、空力……。ドライバーの技量が勝敗に占める割合は少なくなってきました。R32型GT-RはグループAに勝つために作られたクルマだったけれど、1990年から参戦して1993年までは無敗でした。

GT-R投入後、グループA最終年となる1993年まで無敗を誇ったGT-R
GT-R投入後、グループA最終年となる1993年まで無敗を誇ったGT-R
GT-R投入後、グループA最終年となる1993年まで無敗を誇ったGT-R
CL:長谷見さん、星野さんがチャンピオンを獲られて。
CL:長谷見さん、星野さんがチャンピオンを獲られて。
CL:長谷見さん、星野さんがチャンピオンを獲られて。
柿元:そうなると他社がどんどん辞めていって、結局、グループAもグループCもなくなってしまいました。1994年からSUPER GTの先駆けであるJGTC(全日本GT選手権)がスタートしたけれど、1社が勝ち続けるのを避けるために、性能調整とサクセスウェイトが始まりました。当時は「プロレスじゃないんだから」と日本だけでなくFIAもからも圧力がありましたが、今のモータースポーツはそれが当たり前になりました。SUPER GTは、いわば世界に先駆けたレースだったわけですが、その奔りがグループAのR32型GT-Rだったと言えるのではないでしょうか。
CL:スカイラインGT-Rは色々な意味で「伝説のクルマ」ということですね。
柿元:そうなると他社がどんどん辞めていって、結局、グループAもグループCもなくなってしまいました。1994年からSUPER GTの先駆けであるJGTC(全日本GT選手権)がスタートしたけれど、1社が勝ち続けるのを避けるために、性能調整とサクセスウェイトが始まりました。当時は「プロレスじゃないんだから」と日本だけでなくFIAもからも圧力がありましたが、今のモータースポーツはそれが当たり前になりました。SUPER GTは、いわば世界に先駆けたレースだったわけですが、その奔りがグループAのR32型GT-Rだったと言えるのではないでしょうか。
CL:スカイラインGT-Rは色々な意味で「伝説のクルマ」ということですね。
柿元:そうなると他社がどんどん辞めていって、結局、グループAもグループCもなくなってしまいました。1994年からSUPER GTの先駆けであるJGTC(全日本GT選手権)がスタートしたけれど、1社が勝ち続けるのを避けるために、性能調整とサクセスウェイトが始まりました。当時は「プロレスじゃないんだから」と日本だけでなくFIAもからも圧力がありましたが、今のモータースポーツはそれが当たり前になりました。SUPER GTは、いわば世界に先駆けたレースだったわけですが、その奔りがグループAのR32型GT-Rだったと言えるのではないでしょうか。
CL:スカイラインGT-Rは色々な意味で「伝説のクルマ」ということですね。

1994年よりスタートした全日本GT選手権(JGTC)
1994年よりスタートした全日本GT選手権(JGTC)
1994年よりスタートした全日本GT選手権(JGTC)