特集:新時代到来!「ニッサンクラブライフ」が紡いだ90年
特集:新時代到来!「ニッサンクラブライフ」が紡いだ90年
特集:新時代到来!「ニッサンクラブライフ」が紡いだ90年
日本の自動車文化に貢献した片山豊という男
CL:そして、やはり片山豊さんですね。日産創業から2年後の1935年に入社され、日産は元より日本の産業黎明期から現代までをご自身の目で見て、実際にその時代を生きたご経験を愛を持って私たちに示してくださいました。
清水:片山豊というと「Z」となるけれど、とにかくアイディアマンでいらして、例えば「ミスフェアレディ」、当時の「ダットサン・デモンストレーター」を考えたり、「モーターショー」開催にも大いに尽力なさっていらした。
CL:現在のモビリティショーの礎を築かれた当時のお話もお聞かせいただくなど、日産だけでなく日本の自動車史に通じるお話もありました(208号)。
日置:クルマとの付き合い方や乗り方というか使い方とか、新しい自動車技術なんかの接し方など、本当に色々なことを教えて頂きました。
CL:そして、やはり片山豊さんですね。日産創業から2年後の1935年に入社され、日産は元より日本の産業黎明期から現代までをご自身の目で見て、実際にその時代を生きたご経験を愛を持って私たちに示してくださいました。
清水:片山豊というと「Z」となるけれど、とにかくアイディアマンでいらして、例えば「ミスフェアレディ」、当時の「ダットサン・デモンストレーター」を考えたり、「モーターショー」開催にも大いに尽力なさっていらした。
CL:現在のモビリティショーの礎を築かれた当時のお話もお聞かせいただくなど、日産だけでなく日本の自動車史に通じるお話もありました(208号)。
日置:クルマとの付き合い方や乗り方というか使い方とか、新しい自動車技術なんかの接し方など、本当に色々なことを教えて頂きました。
CL:そして、やはり片山豊さんですね。日産創業から2年後の1935年に入社され、日産は元より日本の産業黎明期から現代までをご自身の目で見て、実際にその時代を生きたご経験を愛を持って私たちに示してくださいました。
清水:片山豊というと「Z」となるけれど、とにかくアイディアマンでいらして、例えば「ミスフェアレディ」、当時の「ダットサン・デモンストレーター」を考えたり、「モーターショー」開催にも大いに尽力なさっていらした。
CL:現在のモビリティショーの礎を築かれた当時のお話もお聞かせいただくなど、日産だけでなく日本の自動車史に通じるお話もありました(208号)。
日置:クルマとの付き合い方や乗り方というか使い方とか、新しい自動車技術なんかの接し方など、本当に色々なことを教えて頂きました。
![clublife feature_05](http://www-asia.nissan-cdn.net/content/dam/Nissan/jp/clublife/2403/cl236/feature_05/clublife_2403_cl236_feature_05_004.jpg.ximg.l_6_m.smart.jpg)
創業まもなくの頃。鮎川義介の顔も見える
創業まもなくの頃。鮎川義介の顔も見える
創業まもなくの頃。鮎川義介の顔も見える
![clublife feature_05](http://www-asia.nissan-cdn.net/content/dam/Nissan/jp/clublife/2403/cl236/feature_05/clublife_2403_cl236_feature_05_05.jpg.ximg.l_6_m.smart.jpg)
車両展示のためにブースができていた
車両展示のためにブースができていた
車両展示のためにブースができていた
清水:片山さんは日産だけのためでなく、日本の自動車文化のために常に行動されていました。そして若き片山さんを導いた日産の役員でいらした原科恭一さんもとても視野の広い人で、自社のことだけでなく日本の将来を見据えていました。時代とか、経済とか、人とか、そういうものを包括していると思います。
日置:片山さんという人は会社の表面には出て来なかったけれど、日産DNAの最大の体現者といえるのではないでしょうか。
CL:日産の90年も片山さんを通して知ることができますね。
清水:片山さんは日産だけのためでなく、日本の自動車文化のために常に行動されていました。そして若き片山さんを導いた日産の役員でいらした原科恭一さんもとても視野の広い人で、自社のことだけでなく日本の将来を見据えていました。時代とか、経済とか、人とか、そういうものを包括していると思います。
日置:片山さんという人は会社の表面には出て来なかったけれど、日産DNAの最大の体現者といえるのではないでしょうか。
CL:日産の90年も片山さんを通して知ることができますね。
清水:片山さんは日産だけのためでなく、日本の自動車文化のために常に行動されていました。そして若き片山さんを導いた日産の役員でいらした原科恭一さんもとても視野の広い人で、自社のことだけでなく日本の将来を見据えていました。時代とか、経済とか、人とか、そういうものを包括していると思います。
日置:片山さんという人は会社の表面には出て来なかったけれど、日産DNAの最大の体現者といえるのではないでしょうか。
CL:日産の90年も片山さんを通して知ることができますね。
清水:片山さんのアイディア、行動を追うことで日産の歴史、日本の自動車史が理解できると思います。そして、橋本増治郎、鮎川義介達から片山豊へと繋がって来たパイオニア精神が本人の口から語られていた点は大きいと思います。
日置:片山さんって人は視野が広い方だった。古い時代に生きた人かもしれないけど、「昔はよかった」を言う人ではなかったですね。今をとても大切にしていらしたし、未来をよく考えていらした。だから片山さんの思いは今も尚、語っていいんだと思います。
CL:こうして振り返ってくると、日産という企業の発展はもちろんですが、この90年の歩みは「日本をより良くしよう」と懸命に考え、実直に行動してきた挑戦の歴史だったように思います。
清水:日産の「日本のために力を尽くす」という姿勢。これが、日産が日産たる所以であり、日産の90年だったと思います。
清水:片山さんのアイディア、行動を追うことで日産の歴史、日本の自動車史が理解できると思います。そして、橋本増治郎、鮎川義介達から片山豊へと繋がって来たパイオニア精神が本人の口から語られていた点は大きいと思います。
日置:片山さんって人は視野が広い方だった。古い時代に生きた人かもしれないけど、「昔はよかった」を言う人ではなかったですね。今をとても大切にしていらしたし、未来をよく考えていらした。だから片山さんの思いは今も尚、語っていいんだと思います。
CL:こうして振り返ってくると、日産という企業の発展はもちろんですが、この90年の歩みは「日本をより良くしよう」と懸命に考え、実直に行動してきた挑戦の歴史だったように思います。
清水:日産の「日本のために力を尽くす」という姿勢。これが、日産が日産たる所以であり、日産の90年だったと思います。
清水:片山さんのアイディア、行動を追うことで日産の歴史、日本の自動車史が理解できると思います。そして、橋本増治郎、鮎川義介達から片山豊へと繋がって来たパイオニア精神が本人の口から語られていた点は大きいと思います。
日置:片山さんって人は視野が広い方だった。古い時代に生きた人かもしれないけど、「昔はよかった」を言う人ではなかったですね。今をとても大切にしていらしたし、未来をよく考えていらした。だから片山さんの思いは今も尚、語っていいんだと思います。
CL:こうして振り返ってくると、日産という企業の発展はもちろんですが、この90年の歩みは「日本をより良くしよう」と懸命に考え、実直に行動してきた挑戦の歴史だったように思います。
清水:日産の「日本のために力を尽くす」という姿勢。これが、日産が日産たる所以であり、日産の90年だったと思います。
![clublife feature_05](http://www-asia.nissan-cdn.net/content/dam/Nissan/jp/clublife/2403/cl236/feature_05/clublife_2403_cl236_feature_05_06.jpg.ximg.l_6_m.smart.jpg)
Z33型でイベント会場へご登場された片山豊さん
Z33型でイベント会場へご登場された片山豊さん
Z33型でイベント会場へご登場された片山豊さん